古代出雲文化フォーラムⅤ(2017/3/19)

13:00~16:30 一ツ橋ホールの800席をほぼ埋めた今回のフォーラム。主題は、平成25年に発見された「出雲市杉沢遺跡を通る『古代の山陰道』」の調査報告であった。

島根大学が周辺自治体の協賛を得て主催した。自治体のパンフは廊下に置いてあるのみ、島根大学は、案内の冊子4冊を布袋入りで頒布するなど、子弟のや社会人入学の勧誘に主眼をおいたようだ。
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 ↓ 出雲市杉沢遺跡の位置と、尾根上ルートの想定図
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 ↓ 太い赤で示された道(スライドから) 
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 ↓ 発見された「古代の道」は、尾根上を縦走して約1km、切り土や盛り土を行いながら、両側に側溝を設け、約9mの道路幅をもつ大規模なものであった。
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今後は、「古代山陰道ウオーク」などを企画し、古代の景観を体感できる場にしたいと・・・

最後に、出雲国内の史蹟名勝地がスライドでザッと紹介されたが、古墳時代の遺跡としては以下の6古墳のみ。
  前期4C
 ①神原神社古墳
 ②松本1号墳
 ③造山古墳群・大成古墳
  後期6C
 ④山代二子塚古墳
 ⑤大念寺古墳
 ⑥岡田山1号墳

 ↓ そのうちの《神原神社古墳》
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 ↓ 棺内にあった「景初三年」(西暦239年)銘入りの三角縁神獣鏡。
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他に、鉄製素環頭太刀、鉄剣などの鉄製武具や農耕具などが出土している。

 ↓ 1972年、河川改修工事に伴う調査で、神原神社社殿の下から、供献土器や長大な竪穴式の石室がみつかった。(図録「古代出雲とヤマト王権」より)
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 ↓ 竪穴式石室内部(同上)
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 ↓ 読みかけ・・・。 3年前の1月に、2日かけて回っているが、再び、歩きたくなった・・・
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# by from76 | 2017-03-22 11:27 | 古代史を訪ねて | Comments(0)

頑張っているから? (2017/3/17)

昨日の朝刊記事「適正体重を維持しよう」。BMIを25%未満に抑えよう、そのためには、毎日体重計にのることを勧める。
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 ↓ ボクが毎朝夕乗ってomronの体重計、1週に一度くらいスマホをタッチさせうと、アプリ《からだグラフ》が、omronへデータを転送してくれる。
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即、スマホがグラフ表示してくれるが、omronのマイページにアクセすると、指定した期間のグラフを表示してくれる。
下はボクの過去389日のグラフ。凹凸のない直線区間はデータの転送忘れによる。
すべてが横這い。頑張っているけど効果がないのか、ガンバッテいるから肥満防止や加齢減少を防いでいるのか??? グラフ曲線の数字は、今朝の測定値。
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上から:体重:55.6kg 体脂肪率:27.8(軽肥満) 体年齢:61才(???)
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基礎代謝:1年を通して1,300以上(平均値は50~69 1,380、70~ 1,230だから、結果良好)、
内臓脂肪レベル:ほぼ9、たまに10(標準値 1~9、平均値 50代 10 60代 12)、
BMI: 22 で平均値(新聞記事)を大きく下回る。

結局、やせタイプの皮下脂肪太り? 
# by from76 | 2017-03-17 12:21 | からだ | Comments(0)

血糖値下げ過ぎもリスクに(2017/3/14)

今朝の産経新聞に表題の記事があった。日本糖尿病学会が昨年、高齢者のHbA1cの目標値を変更した、というのだ。
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そこで、日本糖尿病学会のホームページにアクセスしてみると、次のチラシが出てきた。
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なんと目標値は7.0未満。ボクの血液検査結果表には、基準値《4.6~6.2》とあるから、せめて7%未満にしたいとがんばってきたのだが・・・
 ↓ これも学会のホームページから・・・ 詳しいことは分からんが、7%台のボク、そんなに気にすることはなさそう、と勝手に解釈している。
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# by from76 | 2017-03-14 16:10 | からだ | Comments(0)

?認知考古学 (2017/3/10)

b0048558_21425528.jpg3月の前方後円墳研究会は、昨年6月からの「松木武彦著『認知考古学からみる古代~古墳とはなにか』の読み解き」の最終回。

17人目のT氏が最終章の『3. 神々のたそがれ』について語ったあと、10ページにおよぶレジメを用意して全巻を総括した。

「日本列島の古墳がなぜ大きくてたくさんあるのか」「なぜ前方後円墳なのか」「当時の人の目にはどう映り、かれらの心をどう動かしていたのか」といった根本的な疑問を解くには、認知科学を用いた考古資料の解釈法=認知考古学、いわば「心の考古学」による理解が必要である、とする著者の主張、これまでの考古学とはどう違うのか、結局ボク自身、納得のいく理解を得られぬままに終わってしまった。

b0048558_21432117.jpg帰宅後、墨田区図書館にアクセスして「認知考古学」を検索、著者が師匠とする松本直子さんの著作(写真)を発見したので、即、借り出してきた。260ページの大作から、なんとか納得のいく説明をみつけた。以下、P.38~からの引用である。

「そもそも、ヒトはすぐれて視覚的な動物であり、考古学者もヒトである以上、視覚的に分類を行っている。型式の連続性とは視覚的要素の連続性であると言い換えることができる。型式組列として認識されるものについて、考古学者は、しばしば「系統」や「系譜」などの言葉をもって、背後に文化的連続性を措定してきた。

したがって、前後関係にある二つの型式組列間の、形態を主とする視覚的要素に型式学的連続性が見出せない場合、両者のツナガリ――系統ないし系譜間係――を見出すのは困難である。逆にいえば、型式学においては視覚的要素の連続性の範囲内でしかつながりを理解することは困難なのである。ここに従来の型式学ではカバーできない問題点もしくは弱点の一つがあったといえよう。

この問題について、北部九州で弥生時代に盛行する甕棺を例として論じることにする。甕棺はいかにして成立したのだろうか。甕棺の型式組列を遡っていくと、ついには弥生時代早期に壷棺として使用された大型壷に至る(藤尾1950.橋口1992)。ここまでは大方の意見の一致をみており、異論はなかろう。北部九州では弥生時代早期に朝鮮半島の丹塗磨研の小型壷がほぼそのままの形で導入され、それを契機に縄文時代晩期以来の「形態生成構造」(後述)にしたがって同一の「形態パターン」(後述)を有するものとして列島特有の大型壷が発明されたと考えられる(中園1994)。

したがって、甕棺のルーツを型式学的に遡っても大型壷までしか遡りえない。つまり、従来の解釈では甕棺のルーツとしての大型壷は弥生時代早期に突然成立したというほかないのである。
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ところが、その直前の縄文時代晩期には北部九州に埋甕が存在した。埋甕とは、深鉢を使用した埋葬用とみられる施設であり、底部を打ち欠いた深鉢を直立させて墓壙中に据えるのが普通である。縄文時代晩期の深鉢と弥生時代早期の大型壷では埋葬に用いられた土器という点では共通しているが、もちろん型式学的連続性は認められないため、型式学的には両者は無関係とせざるをえなかった。

この点について松本直子(1997)は、「スキーマ理論」を用いて認知考古学的に両者のつながりを明快に説明している。スキーマとは、外界とのインターアクションをとおして心のなかに形作られた連想の体系でもあるが、それを完全に復元しつくすことは無理である。しかし、考古学が対象とする物質文化に即していえば、異なる人工物を関連づける象徴・イメージの体系といい直すことができる。したがって、物質文化をとおして本来のスキーマに近似させ、その一端をうかがうことは可能である。

北部九州での壷棺の成立は支石墓の登場とほぼ同時であり、支石墓下部の埋葬施設のバリエーションとして壷棺がみられる。支石墓の起源が朝鮮半島南部にあることは周知のことであり、縄文時代晩期以来の埋葬に関するさまざまな知識、神話的・宗教的組織の大きな変容を伴ったことは疑いない。ただし、朝鮮半島では支石墓下部に壷棺はおろか土器を棺として用いることは通常なく、その点は受容側におけるスキーマの変容・発明といえる。

朝鮮半島南部においては、さまざまな土器に関する「土器スキーマ」が存在したはずであるが、一部を除き土器を棺として用いるという考えは希薄であったと想定される。一方、「埋葬スキーマ」には、遺骸処理、支石墓としての墓の構造、副葬行為、供献行為などのスキーマが含まれていると想定される。なお、土器スキーマの一部としての小型壷は、小型壷が支石墓に供献されることにおいて埋葬スキーマと連結されるが、実際には朝鮮半島南部において土器そのものを棺として用いることは基本的になかった。

ところが、縄文時代晩期の北部九州においては、土器スキーマと埋葬スキーマは、土器棺としての埋甕を埋葬に用いるという行為によって深く連結されていたということができる。埋甕は日常的に使用する深鉢の転用であり、弥生時代早期の大型壷とは形態が明らかに異なってはいるが、土器そのものを棺とする行為があらかじめ存在したことは、ユニークな壷棺成立の説明を可能にする。北部九州では「埋葬」といえば、棺として連想されるものに土器があった一一土器スキーマが活性化された――のである。

弥生時代早期の支石墓の導入は、支石墓の外部構造、供献される丹塗の小型壷など、行為と神話的・宗教的知識を含んだ朝鮮半島的な土器・埋葬スキーマの導入であったが、それに加えて縄文的な土器・埋葬スキーマとの融合が行われたことになる。

この例の場合、埋甕と壷棺とは型式学的連続性としてはとらえることはできないが、壷棺を発明した行為者は埋甕に伴う縄文時代晩期からの伝統的スキーマを保有していたからこそ、それを成し遂げたことになる。このように過去の人々の「心」の連続性が物質文化の変化を生み出している場合があるが、その変化にはいつも視覚的にみてとれる連続性があるとは限らない。心の連続性、それは型式学的に辿ることができるとは限らないものである。

このような考えをすることで考古学に何かもたらされるのであろうか。従来の解釈では壷棺の成立をうまく説明できず、突然の発明と考えざるをえなかった。そして、いきおい起源となる壷棺が朝鮮半島にあるはずだと期待するむきさえあったのである。こうした誤解は、縄文時代と弥生時代の不連続性を強調することにつながり、縄文時代から弥生時代への変化の説明を不適切なものとしてしまいかねない。ところが、上記のような認知考古学的解釈をとることで、従来と異なる、より妥当性の高い選択肢を考えることができる点を指摘しなければならない。

同様の解釈法によって、たとえば前方後円頂や前方後円形墳丘墓の出現についても弥生時代墳丘墓と密接に関連させて説明できるかもしれないし、また、縄文土器の条痕調整と弥生土器のハケメ調整を、スキーマの変容を伴う心の連続性において説明できるかもしれない。このように形態的に無関係、または飛躍がありすぎるとみられていたものについても、心の連続性に注目することで、より適切な説明ができる可能性がある。

当然ながら生物とは異なって、人工物が生殖を繰り返して子孫を残すことなどありえない、人工物の再生産は製作者の認知スキーマを介して行われるのである。したがって、形態を主とする視覚的要素に連続性が見出せなくても、行為主体者である製作者の心の連続性にこそ迫らなければならない。」

共著者・時津裕子の『心理学と考古学をつなぎあわせる ― 認知考古学の試み』
(PDFファイル2頁、ダウンロード可能)

「認知考古学」は、物証でのみ解釈しようとする考古学者への批判でもある。

「認知考古学「をめぐっての討論は16時過ぎまで続いた。終わって、今秋の探訪旅行先が多数決によって決まった。
 ① 四国(讃岐・阿波)コース 4名
 ② 九州北部と熊本の装飾古墳(豊前・筑紫・肥前)コース 8名
 ③ 南九州《西都春古墳群&最南端の前方後円墳》(日向・大隅)コース 14名

3年前の1月、2日間にわたって福岡・熊本の古墳をクルマで回っているので、ボクは南九州コースに挙手。
 
# by from76 | 2017-03-11 21:40 | 古代史を訪ねて | Comments(0)

片岡愛之助がミュージカルを (2017/3/7)

今春2つ目の「都民半額観劇会」は新橋演舞場での「コメディ・トウナイト」~宮本亜門演出・片岡愛之助主演「ブロードウェイミュージカルの江戸版」~である。
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大きな声で唄いながら舞台狭しと、見てる方が疲れるようなテンポで動き回る。それを後ろから3列目の席からオペラグラスで追いかけるが顔がよく見えない。

幸い、帰宅後、Youtubeの彼らの練習風景を拝見することができたが、片岡愛之助以下出演者のエネルギーには脱帽しっぱなし。
# by from76 | 2017-03-07 20:33 | カルチャー | Comments(0)

2日続けて「飛鳥・藤原」(2017/3/4・5)

《明治大学アカデミーホール》で2日にわたって開催された「飛鳥・藤原」の東京講演会に出席した。
 ↓ 初日は、日本遺産としての「飛鳥の魅力を語るシンポジウム」で、マンガ家の田中真智子氏が、「女・母・妻」としての斉明女帝像をイメージを含ませながら語ったのに対し、吉村武彦氏は、文献史学に基づく飛鳥時代と斉明天皇の足跡を語った。

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 ↓ 2日目は、世界遺産登録を目指す見地からの講演会。
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木下正史氏は、飛鳥・藤原に都のあった時代こそ、明治維新に匹敵する日本の政治、社会、文化の大きな転換期であったと強調した。「日本」という国号、「天皇」の称号、かな文字等、日本の源流はこの時代に築かれ今に引き継がれている。

忽那敬三氏は、明治5年(1872)、30歳で造幣局の化学兼冶金技師として来日した英国人・ガウランドが滞日16年間に行った古墳調査の足跡の詳細を報告。

佐々木憲一氏は、メキシコやメソポタミアの遺跡との比較で、飛鳥・藤原京を論じた。

飛鳥は、2006年11月9日、自転車を借りて走り回り、2009年8月には、学習院大学の遠山美都男先生について2日間歩き回った懐かしい地である。

ただし、藤原京跡には一歩も入っていないのでこれからの課題。
# by from76 | 2017-03-07 12:20 | 古代史を訪ねて | Comments(0)

どうして下がらん? HbA1c (2017/3/5)

循環器内科の定期的診察、X線・心電図・血液検査・聴診で心臓には異常なし、とのことだったが、糖尿病の指標HbA1cだけが上がっている。
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ウオーキングだけでは効果がないのかと、1月末、スポーツクラブに復帰し、週2、3回、筋トレ6種2セットずつこなし、その後、有酸素運動(ウオーキングマシンで30分、時速6km、心拍数90で歩くなど)を真面目にこなしてきたが、いまのところまったく反応なし。もちろん、食事にも気を使っているのだが、糖質ゼロだからと毎晩90mlくらいは呑んでいる焼酎がダメなのか? 

ただ、顕著な効果は《腰痛》が消えたことだ。整形の医師から「腰痛防止には、腹筋・背筋を鍛えなさい!」が実証されたことだ。

5年前は正常だったHbA1c、見事な右肩上がりに上昇曲線ではある。
# by from76 | 2017-03-05 11:49 | からだ | Comments(1)

8枚目の終了証 (2017/02/15)

Web大学講座《高齢者のからだとこころのアセスメント》の終了証が届いた。4回ある「理解度確認クイズ」のうち、前半2回は解答期日を忘れていて未提出となったが、後半を正確に処理したことで81点獲得して、終了オーケーとなった。
 ▼ 8枚目の終了証
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# by from76 | 2017-02-15 22:32 | Gacco Web大学講座 | Comments(0)

2017年 カラダの改造 (2017/1/28)

腹囲が大きくなって、はけるズボンがなくなった。ウオーキングとか糖質制限とかでは追いつかない、ということで、2015年12月に退会したスポーツクラブ《メガロス》に再入会した。

入会手続きを終えて、まず、Inbodyで計測、帰宅後、過去のデータに加えて、78~88歳の推移をグラフ化した。
 ↓ 体成分分析。体脂肪量だけが、10年の間に5割増加。これじゃ、血糖値も上がるわけだ!!! その他のデータは微減。
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 ↓ 骨格筋量と体脂肪量の推移。骨格筋量は年々ダウンして、体脂肪量は体重の増加に比例している。
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 ↓ 肥満度診断。体脂肪率の目標は《20未満》 7,8年前のレベルに落とせばよいのだが、実現できるのかな~
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 ↓ 筋肉バランス(上から「体幹」、「上半身」、[下半身」)。 上下半身の筋肉量を示すグラフ。上半身は、なんとか標準値に達しているが、下半身は標準値のかなり下・・・ 歩いているだけでは筋肉量は増えない、ということだ。
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その他の評価は、
 ① タンパク質: 不足
 ② ウエスト・ヒップ比: 高い(0.97を0.87に近づけるように・・・)
 ③ 生活習慣: 注意2(下肢の筋肉量と腹部の脂肪・水分のバランスをもとに評価) 
 ④ フィットネス評価: 69点(70点以上が標準)

 
# by from76 | 2017-01-28 17:30 | からだ | Comments(0)

2017年最初の《前方後円墳研究会》 (2017/1/13)

古墳の成立から発展を経て衰退にいたる道筋を《認知科学》という手法を用いて探る、松木武彦著「古墳となにか」の読解も最終のステージに近づいた。

今年最初の《前方後円墳研究会》は、前方後円墳誕生から200年たった頃から、統一的だった前方後円という墳丘の形に変化が生じ、やがて消滅するのだが、そこに至らしめた「古代人の内は何だったのか」、《認知科学》という著者の論理を理解しようと時間ぎりぎりまで討論が続く。

 ↓ 討論を終えての新年会。日本の「くに」の成り立ちと、古代人の「こころと文明」を探る、ロマンと探究心の塊のような面々。宴たけなわになって、「各自、3つのキーワードを挙げて、一言発言を・・・」あり、秀逸な発言にはポチ袋が・・・
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宴中、今年の大河ドラマと、辰巳和弘著『新古代学の視点』に登場する静岡県引佐町の《天白磐座遺跡》とのかかわりが話題に出た。

一度は訪ねたいと思っていたので、その詳しい位置などを検索していたら、見事な写真を取り入れたホームページ《巨石巡礼》に出会った。出版物では1、2枚しか掲載されない写真がふんだんに見られ、解説も詳しい。

天白磐座遺跡の場合、もっとも大きい石で、高さ7.39mとある。だが、写真だけでは、巨石を神の依り代にして信仰した古代人の心に迫ることはできない。やはり、現地を訪ねるしか・・・・

 ↓ 最年長ということで締めの挨拶を指名された。すっかり酩酊した顔で一言・・・
「好奇心をもって古代のロマンを探求し続けている限り呆けることはありません。だが、カラダのメンテナンスは必要です」と、1枚ペラの「年代別サバイバル術」を配らせてもらった。
 (写真は2枚とも、K.Hさんの撮影。)
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# by from76 | 2017-01-27 21:11 | Comments(0)