希望の湧いてくる歌です。(2017/8/14)

希望の湧いてくる歌です。いつでも聴けるようリンクしました。


 
  ちいさな光が 歩んだ道を照らす
  希望のつぼみが 遠くを見つめていた
  迷い悩むほどに 人は強さを掴むから 夢をみる
  凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

  あなたと歩んだ あの日の道を探す
  ひとりの祈りが 心をつないでゆく
  空に 手を広げ ふりそそぐ光あつめて
  友に 届けと放てば 夢叶う
  はてなき想いを 明日の風に乗せて

  わたしは信じる 新たな時がめぐる
  凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

「坂の上の雲」を読み終えたときの感動を思い起こさせる歌です。
# by from76 | 2017-08-15 13:25 | アート | Comments(0)

写真撮影はご自由にと・・・ (2017/8/12)

東京オペラシティアートギャラリでの《写狂老人A 荒木経惟》展へ。70代半ば「画狂老人卍」と号し、なお精力的な活動を続けた葛飾北斎になぞらえて、今年77歳を迎えた荒木が、最新作を中心に総数1000点を超える作品を展示した。
をチケット売り場で、「これを読んで・・・」と言われた先には「写真撮影はご自由に・・・」とあった。
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 ▼ たまたま人影が途絶えたので・・・
両壁から《写狂美人》の眼差し迫ってくる。”撮影OK”と言われても・・・
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 ▼ 第2室。左側:《空百景》2017 右側:《花百景》2017
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 ▼ モノクロの花・花・花。原色を想像するが???
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 ▼ 第3室。どんなものでも被写体になる。
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 ▼ 第4室。ここだけカラー
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 ▼ 500冊におよぶ写真集のリスト。この下のケースに代表的写真集を展示。
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 ▼ ギャラリーショップは、荒木経惟の写真集の山。けっこう売れている。
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       荒木経惟公式オフィシャルサイト
# by from76 | 2017-08-13 21:25 | アート | Comments(0)

「山の日」にちなんで(2017/8/11)

今日は「山の日」というので、南アルプスの「北岳」登山の写真をfacebookに投稿したりしたが、ふと思いついて、これまでの登山回数を、スキー・ゴルフとともにグラフにしてみた。
縦軸が「年代」で、横軸が「回数」。
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50代後半、登山を止めてゴルフを始めた。
60代前半、もっぱらゴルフ。だが、65歳定年で止めた。
60代後半、新しい仕事についたので《アウトドア》なし。
過労がたたって、73歳、狭心症発病、完治後、医師の勧めで登山を始めた。
最初は膝痛で高尾山もやっとだったが、次第に鍛えられて、80歳まで《新現役ネット》の《山歩きの会》に所属し、月1回の山行に参加した。

最後の遠征は78歳の夏、尾瀬(沼山峠から鳩待峠まで、80歳の義兄を連れて歩く)次いで、仙丈ヶ岳(行程的に無理と言うことで中腹の山小屋1泊後下山)。以後は、高尾山など近郊の低山へ。
# by from76 | 2017-08-12 11:28 | からだ | Comments(0)

日野原重明先生に献花 (2017/7/31)

午後、聖路加国際大学礼拝堂に伺い、新老人の会SSAの創始者である日野原先生に、SSAの仲間とともに献花を行った。
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《新老人こそ、iPadを・・・》との先生の呼びかけが、どれほど多くの人びとの生き方に影響を与えたことか! ただただ、感謝の念を捧げるのみ。

なお、29日午後1時から青山葬儀所での葬送・告別式には、斎場に入れなかった人びとが炎天下に長い行列をつくっていた、かつての印象しかなかったので参列しなかったが、今回は、予備のテントを用意してくれ、SSAの仲間全員が屋内で参列出来たとのこと。

今日頂戴した式次第によると、賛美歌と、ベー・チェチョルさんによる日野原先生作詞・作曲の《愛の歌》の独唱、全員による合唱《故郷》などがメイン。臆せず、参列すべきだったと・・・・
# by from76 | 2017-07-31 17:30 | 身辺の出来事 | Comments(0)

やったぜ~ 体脂肪減 (2017/7/30)

ジム通いを再開してジャスト6ヶ月、Inbodyで成果を測定した。グラフは、4年前(84歳)からの推移を示す。体脂肪量がガクンと落ち、おまけに骨格筋量を、わずかながら増やした。
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この間、ジムに通った回数39回(目標は週2回だったが、結果は週1.5回)。1回あたり筋トレ45分、有酸素運動(トレッドミル)斜度3.0、時速6kmで30分。ジムをサボったときは、ウオーキング。

食事は糖質制限食(ご飯・パン・麺などの糖類は極力避け)、野菜とタンパク質(卵・牛乳・肉類)をしっかり。さらに補助的にサプリ(ホエイプロティン)を利用した。

ただし、ウェスト・ヒップ比が高い。つまり、出腹引っ込まず。どこの体脂肪が減ったのか???
# by from76 | 2017-07-31 11:21 | からだ | Comments(0)

「従軍慰安婦」の仕掛人は? (2017/7/25)

 ■ 仕掛人は売国的日本人
「従軍慰安婦」が突如としてマスコミに登場し、中学の歴史教科書にも掲載されたのは、昭和58年7月、吉田清治なる者の『私の戦争犯罪・朝鮮人の強制連行』という著作に端を発したといわれている。

内容はといえば、『「山口県労務報国会下関支部動員部長」の肩書きで、昭和18年5月、西部軍(九州守備軍)の動員命令により9名の部下を伴って朝鮮の済州島に赴いた。武装兵10名と憲兵の護衛のもとに島の貝ボタン工場や帽子製造工場、さらには乾魚工場や村の海女(あま)部落などを襲った。泣き叫ぶ娘たちを有無を云わせず追い立て片っ端からトラックに積み込んで、島だけで205人も強制連行、下関に連れて帰り軍に引き渡して前線に送った』などと、生々しい情景を克明に描写し興味本位に述べている。

さらに『昭和18、9年の2年間に朝鮮各地で警官隊多数の協力のもと、村を包囲し路上に娘達を追い出し、殴る蹴るでトラックに積み、留置場に運んで一定数に達すると内地に送る、と云った手口で合計950人に及ぶ女性を強制連行した』と、誰が考えても疑わしいようなことを記述している。以後、従軍慰安婦の問題は、日韓双方とも、すべてこの著作を唯一の証拠として利用する。

 ■ マスコミが火を付け、そして煽った
平成元年11月、「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」の青柳敦子が、韓国を訪問し、吉田清治の著作を根拠に、日本政府に対し公式陳謝と賠償を求める裁判の提訴を焚き付けて、その原告探しをした。これがきっかけとなって、韓国人遺族らが、日本政府を相手に個人補償を求める裁判を提訴したが、その中に9人の慰安婦が含まれていたことにマスコミが注目した。

すなわち、平成4年1月11日、『朝日新聞』が特ダネ大見出しで、「従軍慰安婦に関する軍の関与資料を発見」と大々的に報道、それに加えて「太平洋戦争で日本は朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行、その数は8万とも20万ともいわれた」などと報じた。

これに韓国のマスコミが反応して、すでに前掲著作の韓国語訳が出版されていたこともあって、韓国の世論を激高させることになった。

 ■ 日本外交の大失敗
一週間後の1月17日、韓国訪問を予定していた宮澤喜一総理は、事態の悪化を考慮して、「関与はなかった」とする従来からの方針を一変して国(軍)の関与を認め、陳謝と反省を表明する加藤官房長官談話を発表して韓国に赴いた。

韓国での宮澤総理は、廬泰愚大統領に幾度となく陳謝反省の弁を述べられ、さらには、記者会見でも、教科書に取り上げることを表明するなど、土下座失敗外交を繰り返した。しかし、此の時点では、韓国側の期待した強制連行の事実は出てこなかったのみか、拓殖大学教授・泰郁彦氏(現千葉大教授)が済州島の現地へ出張して行った調査では、吉田清治の本は全くのでたらめで、作り話であると云うことが判明していたが、韓国側の徹底糾明を求める態度にはいささかの変化もなく、交渉緩和には至らなかった。

わが政府としては、引き続き強制連行の有無について鋭意調査を進め、韓国にも出向いて、直接慰安婦に面接調査を行ったのち、平成5年8月、河野官房長官談で日本政府の第二次の調査発表を行った。
しかし、何故か韓国での調査結果については強い要望があったにもかかわらず公表されることなく、結局、何一つ具体的証拠のないまま強制連行を認める内容で政治決着がはかられた。

それ以来、わが国では、「政府が認めた」が、公然とまかり通ることとなり、まず、高校の教科書に掲載され、次いで、中学生用教科書にも記述されることになったのだが、当の文部省当局は、先の宮澤発言を根拠に、教科書の正当性を主張しつづけている。文部省の検定制度が有名無実になったのも、また教科書改訂の意識が見られないのも、結局は政府の姿勢に問題ありと断ぜざるを得ない。
(「軍恩新聞」平成9年1月号)
# by from76 | 2017-07-26 11:50 | 自虐史観は国を滅ぼす | Comments(0)

教科書に書かれた「従軍慰安婦」(2017/7/25)

 ■ 国費で極悪を教え込む愚かさ

平成7年度の文部省の検定に合格、平成9年度から使用される中学校の歴史教科書(7社から7冊発行)に、これまでなかった「従軍慰安婦」が登場することになった。まず、どのように記述されているのかを紹介しよう。

(日本書籍)「…女性を慰安婦として従軍させ、ひどい扱いをした」
(東京書籍)「従軍慰安婦として強制的に戦場へ送り出された若い女性も多数いた」
(大阪書籍)「朝鮮などの若い女性たちを慰安婦として戦場に連行しています」
(教育出版)「多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された」
(清水書院)「朝鮮や台湾などの女性のなかには戦地の慰安施設で働かされた者もあった」
(帝国書院)「女性は従軍慰安婦などにかり出し、耐えがたい苦しみをあたえました」
(日本文教出版)「植民地の台湾や朝鮮でも、徴兵が実施された。慰安婦として戦場の軍に随行させられた女性もいた」

当時のことを知っている戦争体験者なら、誰もが腰を抜かして驚くような内容の記述なのである。これまでにも、朝鮮人の強制連行について、「町を歩いている者や、田んぼで仕事をしている者など手あたりしだい、役にたちそうな人はかたっぱしから、そのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。徴用というが、人さらいですよ」とか、南京攻略戦では、「日本軍は、ナンキン占領後から翌年2月半ばまでに、女性・子供・捕虜をふくむ少なくとも15万人から20万人ともいわれる中国人を虐殺した」

「この事件の犠牲者は20万人といわれているが、中国では戦死者と合わせて30万人以上としている」などと、伝聞を含め、どの教科書も取り上げていたが、「従軍慰安婦」は、これに追い打ちをかけるもので、「君たちのお父さんやお祖父さんたちは、こんなに極悪非道なことをしてきたんだよ」と、国費を使って教え込もうとしているのだ。

 ■ 「従軍慰安婦」は誇張のための造語
 従軍と名が付くのは、記者と看護婦だけであって(いずれも軍属)、慰安婦が従軍などするわけがない。「従軍慰安婦」は、ごく最近の誇張のための造語だ。そもそも慰安婦は、現地人女性に対する強姦防止のための必要悪とされ、古今東西、いずれの戦争でも存在した。

また、当時の日本には公娼制度があって、業者の商行為として認められ、慰安婦もまた、高い報酬につられて、はるばる戦場近くまで出かけたのであって、軍が関与したのは、秩序の維持と性病予防のための指導監督に過ぎなかった。

強制連行の有無についても、平成4年と5年の2回にわたって行われた政府の調査で、国や軍による強制の例は1件もなかったと結論が出ているのに、どの教科書も強制連行があったかのような表現をしている。

いずれも、一部の日本人の扇動と、左傾化したマスコミによって問題が不当に大きくなったこと、補償を要求する自称被害者の発言を、「自虐史観」の立場に立つ教科書編集者たちが、異議を唱える立場の証言や証拠をいっさい無視して、そのまま取り上げた結果に他ならない。

戦後、アメリカの占領政策により、歴史の教科書が徹底的に書き換えられ、著しく左傾化したと承知はしていたものの、これほどまでに日本人のことを悪しざまに記述されているとは思いもよらないことだった。まして、義務教育の教科書に、戦争のことを教えるにしても、わざわざページを割いてまで中学生に慰安婦問題を教える必要がどこにあるのだろうか。これでもか、これでもかと「悪行」を教え込まれる子供たちにとって、これほど残酷な「いじめ」はないのではなかろうか。誤った教科書による被害者は、当の子どもたちなのである。

 ■「従軍慰安婦」の削除を求める運動
国の歴史は、その国の民族の履歴書だといわれている。汚(けが)された履歴書を突き付けられた子どもたちは、自分の生まれた国に愛情や誇りが持てるのだろうか。

世界の人々に対して卑屈になることを教えられた子どもたちは、やがて世界に類のない伝統に輝く日本の歴史を蔑視・否定し、亡国への道を、ひた走りに走るのでは……と案じられてならないのである。
幸いにも、「真実の歴史を子どもたちに」という運動が教育界から起きてきた。教科書から従軍慰安婦の記述の削除を求める運動もあちこちから起きている。誤りを正すことに躊躇すべきではない。これを機に、国をあげての議論沸騰を望むものである。(「軍恩新聞」平成8年12月号)
# by from76 | 2017-07-26 11:44 | 自虐史観は国を滅ぼす | Comments(0)

中学校の歴史教科書にまで「従軍慰安婦」(2017/7/23)

自虐の歴史が国を滅ぼす(2)

歴史歪曲は祖先や親を敬う気持ちを失わせるだけ

60年以上も前の「南京事件」や「従軍慰安婦」は、いったい、いつまで蒸し返され、いつまで、中国や韓国に謝罪し続けることになるのだろうか。その答えとして、前回、スペインの聖職者、バルトロメ・デ・ラス・カサスが書いた自虐の『報告』を取り上げた。

この『報告』に書かれた残虐ぶりは、朝日新聞の本多勝一記者や東史郎元兵士などが書いたものと瓜二つ、彼らは、この『報告』を手本にして書いたのではないかと思いたくなる位だ。
そして、どちらも、売国の道具となった。

 ■自虐の歴史書は、他国の武器

ラス・カサスが、この『報告』を印刷、公刊したのは1552年。本当の狙いは、スペイン人の非道ぶりの即時中止を、宮廷や政府当局に訴えるためのものであったが、20数年後、まず、スペイン支配からの独立を求めるオランダで、オランダ語訳が出版され、次いで、フランス語訳、ドイツ語訳、ラテン語訳、英語訳が出版されて、それぞれ、スペイン攻撃の武器として利用された。
300年もたった19世紀初頭、今度は、この『報告』で弾劾された征服者の子孫までが、本国スペインからの独立運動の宣伝材料に利用、つまり、自分たちの先祖の非道ぶりを暴き、激しく攻撃した。
そして、1898年、アメリカとの戦争のときにも、アメリカに政治的に利用され、結局、スペインは、アメリカ大陸の大半を占めていた植民地のすべてを失ってしまった。

 ■エスカレートする中国側の主張

同じような例は、すでに、日本にも存在する。
戦後、蒋介石は国民政府勝利宣言で、中国側の死傷者数は行方不明を含めて、483万余人と発表した。ところが、昭和30年代の日本の歴史書は、どれもが、1千万人、中国側の発表より多い数字を上げていた。

中国共産党は、昭和60年(中国にとって、抗日勝利40周年)、中国側の犠牲者数は、2千100万人と公式発表、廬溝橋のほとりにある「中国人民抗日戦争記念館」の死傷者数の掲示も2千168万5千人であった。しかし、村山首相の訪中・謝罪後、3千5百余万人に書き換えられた。3千5百万は、江沢民の主張、このまま日本側が沈黙していると、やがて、5千万人、1人へとエスカレートしかねない。

 ■ 虚構の従軍慰安婦も中学の教科書に登場

「旧日本軍は、アフリカの黒人奴隷狩りのような方法で慰安婦狩りをした」と書いた吉田清治の「従軍慰安婦」は、韓国語に翻訳されてベストセラーとなり、テレビドラマとなって連日連夜放映されたから、すっかり、韓国民の間に「従軍慰安婦」が定着した。

日本の文部省に相当する文教部の高官が、「バカな日本人のおかげで、韓国の教科書にまで従軍慰安婦を掲載しないわけにはいかなくなった」と嘆いたというから、韓国の教科書にも書かれることになる。

そして、遂に、昨年から使用する日本の中学校の歴史教科書にも登場した。日本の子供たちは、先の戦争で日本のために戦った父母や祖父母のことを、やってもいない「悪業」を、ことさらしたと教え込まれる。これでは、父母や祖先を敬う気持ちは薄れ、教育現場の荒廃も一層ひどいものになるだろう。そして、中韓両国は、日本が弱小国になり下がるまで、日本に対して謝罪を要求し続けるだろう。
 (1998年8月)
# by from76 | 2017-07-23 13:36 | 自虐史観は国を滅ぼす | Comments(0)

今日をよく生きるために (2017/7/18)

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東京オリンピック&パラリンピックで聖火ランナーをと意気込んでおられた、日野原重明先生がついにお亡くなりなった。直接、あるいは、ご著書を通じ、ボクの《生き方》に大きな影響を与えていただいた先生だった。

お目にかかることが叶わなくなっても、先生の教えは、永久にわが胸にあり続ける・・・
   2012年11月、先生と   同じく2016年6月  日野原先生の笑顔
# by from76 | 2017-07-18 17:46 | その他 | Comments(0)

古代の石造物 (2017/7/14) 

7月の前方後円墳研究会は、4回目になる「古墳時代の生産と流通」の読み解き。今月は「古墳時代から飛鳥時代にかけてと、それ以後の『石造物』」であった。猛暑のなか27名出席、閉室時間ぎりぎりまで議論沸騰。8月は夏休み、ただし、《南九州古墳探訪》の資料作成(ひとり1古墳)。
3名が、各1時間の持ち時間で報告と質疑応答を行った。

討論は「石棺」がメイン、なかでも阿蘇のピンク石が中心となった。


帰宅後、古本市で見つけ、積んであった本をめくる。b0048558_12294828.jpg

ひとことで言えば、
ピンク家形石棺の産地は熊本県宇土市だが、使用されたのは畿内中枢部の有力後期古墳でのみ、これは、古墳中期の長持形石棺を用いた勢力に代わる、新しい勢力の登場、新体制への移行を示すものだと・・・。


 ▼ 2011年11月、大阪府高槻市の《今城塚古代歴史館》で、3種類の石を使った《家形石棺》の模型を見た。
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パネル右は、今城塚古墳で発見された《家形石棺》についての解説。
「後円部の発掘調査で、3種類の石棺材の破片が大小多数見つかり、本来は3基の家形石棺がおさめられていたことがわかりました。石材は、九州熊本の《阿蘇ピンク石(馬門石)》、《兵庫の竜山石》、大阪・奈良にまたがる《二上山白石》のいずれも凝灰岩です。海路を850km以上も運ばれた阿蘇ピンク石をはじめ、大王墓の築造にいかに広範な資材と労働力が結集されたたかがうかがえます。」

手前に3種類の石棺片を展示。
▼ 上から《阿蘇ピンク石》《竜山石》《二上山白石》
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その後のパネルは、石棺の産地と搬送経路
 左下:阿蘇ピンク石の石切場(熊本県宇土市)左上:大王の棺を運ぶ実験航海
 中央上:竜山石の石切場(兵庫県高砂市)中央下・棺の移動経路
 右上:古代体験イベント「千人で引く大王の石棺 
 右下:二上山白石の露頭(奈良県香芝市)
 ▼ 二上山白石石棺(復元模型)
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 ▼ ピンク阿蘇石と竜山石(復元模型)
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# by from76 | 2017-07-15 12:54 | 古代史を訪ねて | Comments(0)