お経と現代音楽のコラボ (2015/1/25)

15:30~18:00 文京シビックホール(小ホール)での、㈳現代仏教音楽研究会主催 「第3回 現代音楽コンサート 《聲奏一如 (しょうそういちにょ》 Vol.3」を聞きに行った。

今回は「12人の僧侶のお経+声明と弦楽四重奏、バンドサウンドの共演」である。

ステージの左右に「胎蔵界・金剛界」の曼荼羅が下げられ、灯明を象徴する飾りつけがなされたが、前回と異なり、今回は、弦楽四重奏とバンドサウンドの楽器が並び、詠う僧侶がステージの下に並んだ。前回とは真逆だたった。

果たして、器楽と声楽が張り合う形となって、心を穏やかにするどころか耳につんざく騒音に聞こえてしまい、前回受けた印象とはだいぶ異なったものになってしまった。

前回の楽器が二胡・尺八・箏・和太鼓・ギター・パーカッション・シンセザイサーでっあったのに対して
今回はピアノ・第1バイオリン・第2バイオリン・チェロ・ギター・キーボード・ドラム・ベース等々がボリュームいっぱいに演奏したからたまらない。
 ↓ 開幕(露地之偈・三礼)

 ↓ 表白(高野山真言宗阿闍梨・宮島基行僧正)


 ↓ 声明(四智梵語・理趣経-勧請・理趣経-初段・追弔和讃・至心回向)




第2部は、多宗派(浄土宗・浄土真宗・真言宗・曹洞宗・日蓮宗・臨済宗の有志僧侶が合同で、読経、和讃、念仏、題目、般若心経などを唱和した。聞いたことのないお経が聞けてよかったのだが、最後まで器楽の音が邪魔をしてくれた。
      現代仏教音楽研究会    代表・松島龍戒のオフィシャルサイト
                  第1回のブログの記事 

第1回の模様をYouTubeからコピーしました。


一歩外へ出ると、後楽園が恋人たちにとっての涅槃の里だ。




     
# by from76 | 2015-01-26 10:46 | カルチャー | Trackback | Comments(0)

第12回 「なちゅフォト」 写真展 (2015/1/24)

午後、《新宿御苑アートギャラリー》で開催中の相模原の写真クラブ「なちゅフォト」の第12回写真展を見に・・・。
今回のテーマは、COLOR・S七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)で総展示数約90点。「”7色”とは、いかなる趣向か?」と訊ねると、メンバー一人ひとりが、赤色から紫まで、7色をアッピールする7作品を展示する、というものであった。

リーダー格の盛晶さんは、ボクのかつての職場でカメラマンとして活躍した仲間で、20数年ぶりの再会であった。今では、ホームページの作成・更新、電子書籍の作成などIT関連会社を設立し、多角的に活動しておられる。
 ↓ すっかり貫禄の付いた井上盛晶さん

 ↓ 展示会場。


 ↓ 作品は左から、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順に並ぶ。

 ↓ この二人もかつての仕事仲間

会場をまわりながら、また、お茶をしながら、撮影ポイントやら、あれこれとボクの知らない分野について貴重な意見を教わる。

 ↓ 帰路、伊勢丹の手前で、車上からボクをじっと見つめるワンちゃんに出会った。

# by from76 | 2015-01-24 19:53 | カルチャー | Trackback | Comments(0)

「日本書記の世界XX」最終回 (2015/1/22)

18:30~20:00 昨年5月8日から始まった明治大学アカデミーホールの講座「日本書記の世界XX (吉村武彦教授)」の最終回。今回も、吉村教授に代わって大塚初重名誉教授が担当した。天武紀の最後を考古学の立場から「天武天皇・持統天皇陵」について語ってもらう、という趣向である。

 ↓ 受講登録者40名、うち4名に後半、連続欠席の印がついていた。いつも同じバスに乗っていた近所の高齢のご婦人も、いつの間にか姿を見せなくなっていた。

 ↓ これまで2度訪ねたことのある 「天武天皇・持統天皇陵」(野口王墓古墳)




古墳のほとんどは墓誌銘が出土しない限り、だれだれの墓と断定することはできないのだが、この野口王墓古墳に限っては、明治13年に高山寺住職によって発見された「阿不幾乃山陵記」(1235年)によって天武天皇と持統天皇の墓であることが確定、翌明治14年、当時の宮内庁が指定替えをしたという稀有の例である。

そして、天皇陵はすべてが前方後円墳であったものが、この古墳から八角形になり、また、合葬された持統天皇は、遺言により火葬(これも初めて)され骨壺に納められて埋葬されていた。

主な八角形古墳(大王陵)
 ①牽牛子塚古墳 明日香村 斉明天皇陵?
 ②野口王墓古墳 明日香村 檜隈大内陵(天武・持統天皇陵)
 ③中尾山古墳   明日香村 檜隈安古岡上陵?(文武天皇陵?)
 ④東明神古墳   高取町   岡宮天皇(草壁皇子)陵?
 ⑤段ノ塚古墳   桜井市   押坂内陵(舒明天皇陵)宮内庁治定
 ⑥御廟野古墳   京都市   山科陵(天智天皇陵)宮内庁治定

だが、同じころ関東地方にも八角形墳が登場し、被葬者をめぐる論争が続いている。
 ①群馬県・三津屋古墳
 ②茨城県・吉田古墳
 ③東京都・稲荷塚古墳
など・・・

今月18日に現地説明会の行われた明日香村・小山田遺跡についても言及、石組みの構造と日本書記の記録などから押坂に改葬される前の舒明天皇陵ではないか? としながら、さらなる発掘によって、結論がどうでるか今後の楽しみだと・・・
 ↓ 現地説明会(産経ニュースより) 見学者が長蛇の列を作っている。

 ↓ 今夜で、2014年度の明大の2つの講座を終えた。最上階にあかりの灯る「アカデミーコモン」を振り返り見る。




# by from76 | 2015-01-23 12:15 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

夜の浅草寺 (2015/1/20)

今日のウオーキング、なんとなく浅草。初場所開催中の国技館の前を素通りして隅田川テラスに降りる。
 ↓ 蔵前橋の黄色が水に映えて美しい
 
 ↓ 吾妻橋に上がり、雷門向かいの観光センターに上がり、下を眺める。

ついで100円バス「北めぐりん」に乗って、台東区の北部を90分かけて一回り。今戸神社・一葉記念館・書道博物館・小野照崎神社・鷲神社などの所在地を確認。次のターゲットに・・・
 ↓ 浅草寺に戻ってきた。午後5時半、閉まった扉に向かって参拝客の列が続く。聞こえてくる言葉は圧倒的に中国語、なかでも台湾からの観光客が多いと聞く。

 ↓ お神籤を引くのは若者ばかり。黒装束のグループの正体は???

 ↓ ライトアップされた宝蔵門と五重塔

 ↓ 仲見世通りで空を見上げると


 ↓ 午後7時20分の雷門と白く光る仲見世通り

帰りはバスだが、歩数計は 11,900歩。
# by from76 | 2015-01-21 10:43 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

体脂肪と糖尿病と (2015/1/19)

毎朝毎晩、オムロンの体重体組成計に乗り、体重・基礎代謝量・体脂肪率などをチェックしている。だが、なかなか減らないのが体脂肪。

筋トレもサボってばかり、ということでスポーツクラブでInBody計測、主な項目について、ここ4年の経過と、糖尿病のヘモグロビンA1cの経過を併せてグラフ化してみた。

上から 
 ① 筋肉量はなんとか横ばい(せっせと歩き回っているから?)
 ② 体脂肪率は、右肩上がりから、やや下降へ(これくらいはと食べ過ぎると、容赦なく増える)
 ③ 体脂肪量も、当然ながら、右肩上がりから、やや下降へ
 ④ ヘモグロビンA1c も、また、体脂肪の上下に従っていた。
    2013年2月までは基準値内だった。先妻に先立たれて、独り暮らしをしていた時期にあたる。ツレに巡り合って(幸せ太り \(^o^)/)

やればできないことはないはず、3ヵ月以内に、2011年3月の《6.1》まで下げようと決意。


# by from76 | 2015-01-20 11:22 | からだ | Trackback | Comments(0)

武蔵府中熊野神社古墳 (2015/1/18)

京王線府中駅から旧甲州街道を西に2.8キロの国史跡「武蔵府中熊野神社古墳」を訪ねた。

前方後円墳は関東地方では、6世紀末から7世紀初頭に消滅する。そのあと登場するのが巨大な円墳や方墳だが、東京の南武蔵地区に限って、他の区域とは異なった古墳が現れた。

径30mクラスの円墳や八角墳とされる稲荷塚古墳や熊野神社古墳のような「上円下方墳」という特殊な古墳である。
 ↓ 右:熊野神社。左:熊野神社古墳展示館

 ↓ 熊野神社拝殿。神社の創建は江戸時代でご祭神はスサノオノミコト。裏手の古墳の被葬者とは無縁でである。

 ↓ 神社本殿の真裏に復元された古墳がある。国内最大・最古の上円下方墳ということで、平成17年7月、国の史跡に指定された。


 ↓ 古墳全体図。

 ↓ 西側からみた古墳。右手に神社の本殿と拝殿。手前は造成中の駐車場

 ↓ 展示館の左側に「石室復元展示室」がある。ヘルメットと懐中電灯を借りて石室内に入った。横穴式石室で入口から前室、後室、玄室という3室からなる。手前の前室、後室は方形で天井も低いが、奥の玄室は円形に近い形をしており天井も3mと高くなっている。

かつては神社の裏山として子どもの遊び場になっており、石室内にも出入りしていたという。出土品は「鉄地銀象嵌鞘尻金具」と木棺の留め釘と考えられる鉄釘のほかガラス製の玉類、刀子などだが、国内外に例のない七曜文の銀象嵌の鞘尻金具などからも注目を浴びている古墳である。

旧甲州街道を200mほど戻って右折すると鎌倉街道だ。これを南下して、多摩川を越え聖蹟桜ヶ丘駅に向かて歩く。
 ↓ 多摩川を渡る。向こうの鉄橋は京王線。山並みは高尾山の北に続く峰々だ。

 ↓ 44歳、新宿区の社宅を出て移り住んだマンションの前に出た。ここの8階に15年、隣近所だった人々の顔が目に浮かぶ。

この家を出たあと、ボクは百草園近くの一戸建てに移ったが2年3か月後に江東区の亀戸へ移転した。老後の暮らしに不安を感じたからだ。だが、亀戸は「川向う」っていうんだと、蔑みのようなことを言われた。この家は採光が西と北からのみで結露がひどい、といったことで5年後、中央区佃の公団住宅27階に移った。65歳、ここに移った縁で参議院政策担当秘書という新しい仕事にあるついたが、永住はできないと4年後、現在の墨田区両国付近に落ち着いた。

結婚いらい7度目の転居になる。すっかり「引っ越し貧乏」となったが、それぞれの地に思いであり、転居のたびに荷造りに苦労した先妻も、楽しい人生だたっと喜んでいた。
 ↓ 聖蹟桜ヶ丘に住んでいたころ何度か訪ねた店も健在だった。当時、2階では、しゃれたフランス料理をだしていたが、現在は宴会場だといった。

歩数計は13,800。


# by from76 | 2015-01-19 10:31 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

芝公園~増上寺~愛宕山 (2015/1/12)

いつかは訪ねたいと思っていた「芝丸山古墳」と「愛宕神社」の2か所を含むコースのコピーを片手に、浜松町駅から芝公園を一周りして新橋駅までの6.8キロを歩いた。

まずは、芝大神宮から・・・
 ↓ 平安時代創建の古社だが、立派なコンクリートの社殿。

 ↓ 社業繁栄を祈願した企業の名札がずらりと並ぶ。

 ↓ 増上寺の本堂。参拝客が長い列をつくっている。

次いで特別公開の「徳川将軍家霊廟」に入る。ここには2代将軍秀忠公をはじめとして6人の将軍、同御台所崇厳院、皇女和宮様ら5人の正室、3代家光公の側室桂昌院をはじめ5人の側室ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。かつて南北に配されていた墓所が、学術調査の対象となり、その結果、遺骸は桐ケ谷斎場にて荼毘に付され、現在地に改葬されたものである。
 ↓ ボランティアがガイドしていた。

 ↓ ひときわ立派な静寛院和宮の宝塔(青銅製)。家茂公の正室となり、江戸無血開城などに尽くしたが31歳という短い生涯であった。右隣に家茂公の宝塔(石塔)が立つ。

増上寺の東、芝東照宮の裏手に目当ての「芝丸山古墳」はあった。
 ↓ 東京都教育委員会の説明板には、
「全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置していたと思われる埋葬施設は失われており、遺体や副葬品なども不明である。
 前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。」

 ↓ 墳頂は広場となっていて「伊能忠敬記念碑」がある。

次は、東京タワー。はとバスがずらりと並ぶ。

 ↓ 入場券売り場にも行列ができていた。まだまだ人気があるようだ。

次いで愛宕モリタワーとフォレストタワーに挟まれた青松寺の前に出た。この地区の開発の余波を受けて伽藍すべてがコンクリート製。

間もなく、愛宕神社の前だ。
 ↓ 正面に86段の「出世階段」が見える。1634年、三代将軍徳川家光が芝増上寺を参詣した帰り、山上に咲く梅の美しさに惹かれ、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と供の者達に訊ねたところ、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が見事に馬で石段を駆け上がり枝を取って来たため、馬術の名人としてその名を轟かせたところから「出世階段」と呼ばれた、という講談話を昔、何度も聞いていた。

江戸時代から現在にかけてこの男坂86段を馬で登頂に成功したのは11名(うち1名は2度成功)という。

 ↓ 若い人は駆け足で登っていくが、ボクはすでに歩数10.000を超えていて足下不安。こと志に反したが女坂107段を上がる。

 ↓ 愛宕神社もまた一人づつの参拝だ。初詣客は狭い山頂をくねくねと列をなして待っている。隣に建つ「NHK放送博物館」を観たあとも同じような行列だった。

愛宕神社のすぐ先に虎ノ門ヒルズがあった。閑散としていた。終点新橋駅の手前で烏森神社に参る。ここも初めて訪ねる神社だ。ここでも晴れ着姿の娘たちが願い事をしていた。

 ↓ 打ち上げは寿司屋で。焼酎に鯵の刺身をもらったが、箸をつけた途端、鯵が頭をもたげてボクをにらみつけた。

帰宅後の歩数計 18,200。

# by from76 | 2015-01-13 20:32 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

船上からの夜景撮影に挑むが・・ (2015/1/10)

クラブツーリズムの「夕暮れの羽田空港D滑走路・川崎工場夜景クルーズ」に参加した。品川駅15:15集合。20分ほど歩いて、クルーズ船乗り場「天王洲ヤマツピア桟橋」に着く。

16:10 21名の乗客を乗せてクルーズ船は出発した。コースは下図のとおり。往路は京浜運河~城南島海浜公園~羽田空港D滑走路~川崎工業地帯~を、帰路は大回りしてレインボウブリッジの手前から運河に戻る。

雲一つない快晴、空気も澄んでいて富士山もすっきり見える。風も穏やか、といっても、小さな船だ。近くを小船が通っただけで、こちらが前後左右に揺れる。
 ↓ 橋桁の色が波に反射して

 ↓ 輝く夕陽を見ながら・・・

 ↓ 富士山もすっきりと・・・

 ↓ 富士山とD滑走路を離陸する航空機

 ↓ 川崎の臨界工業地帯に入る。期待したほどの被写体なし。


 ↓ 羽田空港D滑走路沖で、ゲートブリッジとスカイツリーが重なって見えた。

 ↓ 大井ふ頭の夕景


一眼レフCanonのEOS Kiss X7iと、小さなPowerShotS120を持参したのだが、夜景撮影に慣れておらず、また、懐中電灯を忘れたので暗闇での設定に苦労、ほとんどは「メクラ打ち」となった。3時間強のクルージング。寒さに震えたり、船酔いになったりの人もいたが、無事 19:30 船を下りる。

それでも歩数計は 9,948歩。
# by from76 | 2015-01-11 16:05 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

今年最初の「前方後円墳研究会」 (2015/1/9)

13:00~ 「前方後円墳研究会」の今年最初の定例会。例の通り3名の会員から研究発表あり。
それに対す疑問質問が続々・・・ 
17:00 定刻で討論を打ち切り、神田の中華料理店に移動して新年会。18:20~20:30。会費3000円で結構な料理に飲み放題のドリンクがつき、元気な高齢者ばかり、しょっぱなから最後まで大にぎわいだった。


 ↓ 博物館の忽那先生から、会員必見の古墳の紹介あり。
神戸の五色塚古墳・大阪府の今城塚古墳・茨城県の虎塚古墳・三浦半島の長柄桜山古墳・・・

 ↓ お開き前に集合写真(細川さんの撮影)

代表の磯辺さんは、毎回、その日のうちに議事録を作成してメールで送信してくださる。

今回も、「ビールとハイボールを3杯も飲んでしまいました。帰宅して、急いで「記録」作成に取り掛かりましたが、12時になり翌日に持ち越しになりました。」として、深夜に送信された議事録は、A4版で6ページ、到底まねのできない驚くべく業である。
# by from76 | 2015-01-11 10:21 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

大塚初重教授の記憶力 (2015/1/8)

砂防会館での「新老人の会」SSA特別講座 「新春初笑‼シニア落語ワークショップ+TEA交流会」が終わったのが16:00、次の予定が明治大学で18:30~20:00吉村武彦教授による 「日本書記の世界XX」全12回の11回目。時間がたっぷりあるので歩いて移動した。約3.8キロ。

「日本書記の世界XX」の最後の2回を担当する、大塚初重明治大学名誉教授は、大きな鞄を右手に、定刻20分前には姿を現した。

テーマは、
 1.終末期古墳とは
 2.前方後円墳消滅の意味
 3.大型円墳・方墳の登場
 4.飛鳥時代の古墳の消滅

御年88歳、これまで何度も講義を受けているが、今回も、A4版4枚の図版だけのレジメを片手に、古墳や石室・石棺・埋葬品などなどの詳細を、よどみなく語る。

それらのデータは、いったい、どこから湧いてくるのか、その記憶力の凄さに改めて驚く。

 ↓ レジメの1ページ、赤はボクのメモ書き

吉村教授から、来年もと依頼された由、数えで90歳を超えるが、やりますと意欲満々・・・

歩数計:11,639歩

# by from76 | 2015-01-10 15:21 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)
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