キャノンフォトライブラリーを梯子 (2015/5/29)

品川のキャノンフォトギャラリーへ。

「豊田直之写真展-水の輪廻-」

広大な海に生きる生物や、
躍動する水流などなど、
水にまつわる80点を超える
作品映像が並ぶ。

2Fのショールームで、WiFiつきのカメラから、
撮った写真をスマホの転送する方法を教わった。

目の前でやって見せてくれ、
「ご自分でやって見て下さい」
そして、
「はい、オーケーです」



 
 ↓ 1F フォトギャラリーの正面

ついでだからと、この28日公開したばかりの、下水道処理施設「芝浦水再生センター」の上に建つビル「品川シーズンテラス」を見に行ったが、雨が振り出したので断念した。品川シーズンテラスは、品川駅から徒歩6分、延べ床面積20万平方メートルを超える地上32階建ての複合ビルである。

 ↓ 緑とビルの街、品川駅の東側


次いで銀座3丁目のギャラリーへ。「宮田敏幸写真展『能登の風』」を観る。能登の観光スポット45カ所をモノクロで表現。

有楽町駅から雨の小止みを縫って会場まで・・・
 ↓ 銀座・和光のショウウインドウ。白い塗料が歩道まではみ出し、それを避けるように観光客がひと休み。

 ↓ 途中、目についたユニークなファサードのビルをスナップ



# by from76 | 2015-05-30 11:34 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

講義中、ガタガタと震度4 (2015/5/25)  

14:00~16:00 大塚初重先生の明治大学リバティアカデミー講座《古墳発掘の成果と古代史像の変革》 全12回の3回目 《椿井大塚山古墳出土の42面の鏡の語ること》。

京都府相良郡山城町椿井の前方後円墳(全長約190m)から42面の鏡が出土した(昭和28年)。仔細に調べたところ、同笵鏡(同じ鋳型で鋳造)が何枚も含まれていたので、全国の古墳から出土した鏡についても調査が行われた。

その結果、東は群馬県・神奈川県・千葉県から、西は大分県・福岡県まで、列島各地、約60カ所に拡散していることが判り、3世紀後半から4世紀、中央のヤマト政権の成立を証明するものと解されてきた。

後半は、平成20年に静岡県沼津市で発見された墳丘長62mの前方後方墳《高尾山古墳》を例に、230年から250年頃(卑弥呼の時代)、列島各地に前方後方墳が築造され、同じ土器(大郭式土器など)が、北は会津から西は瀬戸内にまで拡散していることから、この時代、地方間での交流が盛んであったことがわかり、これまでの古代史像にどんな変化が生まれるのか余談を許さない状況になってきた。

 ↓ 14:28 突然、ホールが揺れた。震度4、大塚先生、びくともせず、「大丈夫ですよ」といいながら話を続けた。下は、地震直後のスナップ。

# by from76 | 2015-05-26 09:28 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

伽耶から北九州へ (2015/5/22)

17:00~18:40 明治大学講座「古代日本と朝鮮渡来文化」講師:金任仲(全7回の3回目~伽耶の九州進出~」

●天孫降臨神話
天孫降臨神話は、北方アジア大陸の住民の神話である。朝鮮から文化を引き継いだ古代日本人は、祖先の渡来と始祖降臨とを天孫降臨に仮託した。(泊勝美「古代九州と朝鮮)

●支石墓
縄文時代後期の九州北西地域に「支石墓」が出現した。当時、朝鮮半島南西部では支石墓が最盛期を迎えており(4万~5万存在)、朝鮮半島、とくに伽耶から強い影響があったものと考えられている。伝播時期の推定年代は紀元前2世紀。

●伽耶人の北九州への進出経路は
近年、韓国考古学の発掘成果によって、伽耶人は、金海市池内洞地域を中心に紀元前1世紀頃から古代日韓交流の出発地として利用していたことが判明した。ここから玄界灘を超え、対馬を中継地点にして、壱岐を経て九州の糸島平野、佐賀県北部海岸地帯、長崎県島原半島の高原地帯、熊本南部の小平平野地帯に進出したといわれている。

 ↓ 2012年3月9日、壱岐対馬の旅からの帰途立ち寄った福岡県前原市の支石墓「国指定史跡・支登支石墓群」



《説明板》
弥生時代前期から中期に及ぶ甕棺墓を含む墓地遺跡である。この遺跡は糸島半島の南に広がる平地のほぼ中央部の標高6mほどの水田面との比高約1mの微高地に位置する。

昭和28年文化財保護委員会が発掘調査を行い、支石墓10基を確認し、このうち4基と甕棺8基を発掘した。支石墓は径1.5~2m、厚さ50cmほどの平石上石を数個の支石でささえる形式のもので、下部構造は土壙墓、支石をかねた塊石による長方形の石がこいなどがある。上石には玄武岩及び花崗岩を用い、その原石の最も近い距離にあるものは西方約4kmの可也山である。

副葬品と思われるものは6号支石墓の石がこいの中から打製石鏃6個、8号支石墓から磨製石鏃4個が発見された。この磨製石鏃は朝鮮から多く発見され、支石墓の構造とともにこの地が密接な関係にあったことをあらわしている。

地形は基盤層中に東西北の方向に傾斜する粘土層がありこの中に甕棺、支石墓の基部が埋蔵されていた甕棺は合口が多く小形のものが多い。粘土層の上に後生の堆積土層があり奈良末期以降の土師器、須恵器等が埋蔵されていた。

●可也山
 「草枕 旅を苦しみ恋ひ居れば 可也の山辺にさを鹿鳴くも」
                          (万葉集・3674)
(訳) (草枕)旅が苦しいので、家を恋い偲んでいると、可也の山辺で牡鹿が鳴いているよ。遠く都から離れて旅する心情(命がけの海路なのだろう)がよく歌われてる。

福岡県糸島半島には可也、伽耶、加布里、芥屋など、伽耶との接点を暗示する地名が多い。
                 参考:志登支石墓
 ↓ 韓国・江華島の支石墓

         世界遺産に登録されている韓国の支石墓


# by from76 | 2015-05-22 16:59 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

毎朝、体重計に乗って・・・ (2015/8/21)

右は、毎朝乗るオムロンの体重体組成計。体重のほかに基礎代謝・体脂肪率・BMI・骨格筋率・体年齢・内臓脂肪レベルが次々と表示される。

この体重体組成計をUSBケーブルでパソコンに接続すると、自動的にデータがオムロンのホームページに転送され、《マイページ》で、データの変化を見ることができる。

下は今日までの1年365日の変化を示すグラフである。

 ↓ 上からBMI、体脂肪、骨格筋率

オムロンの指標では
 ●BMI: 計算式=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)
  BMI 《22》が理想的体重。肥満・やせを原因とする病気にかかりにくく、長生きできる体重だと。  

 ●体脂肪率: 25%以上 →《高い》 
   ⇒ 25%未満に下げても20%以上だと《やや高い》とある。
  ボクの場合、《かくれ肥満》というわけ。これを減らすには運動しかないとは厳しい! 

 ●骨格筋率: 計算式(%)=(骨格筋の重さ(kg)÷体重(kg))×100
   この結果が男性32.8%以下は 《低い》 
  筋肉量が減れば1日の消費エネルギー量も少なくなり、脂肪太りになる。

 ↓ 上から体年齢、基礎代謝、内臓脂肪レベル

 ●体年齢: 基礎代謝からみた体の年齢。「実年齢より上か下かで総合的な判断の目安」とある。60歳の表示が出ると、食事のコントロールと運動で、すぐ59に下がる。年齢は若い方がいい・・・

 ●基礎代謝: 体温維持や呼吸、心臓を動かすなど、生命維持に必要なエネルギー消費のことをいう。
基礎代謝量の標準値は(厚労省2005年版)
 男性50~69歳 が《1,380》 70歳以上が《1,230》
 ボクの体年齢《59歳》は、ここから来ているらしい。
 ただし、この基礎代謝量、スポーツクラブでの計測値(5年間で1,285~1,309の範囲)より、やや高め。
 それでも、《実年齢より10年は若い・・・》と思うことが大切だと、どこかで聞いた。

 ●内臓脂肪レベル: 1~9は《標準》、10は《やや高い》。《高い》と、2型糖尿病、脂質代謝異常、高血圧などの健康障害の恐れありと・・・

データの悪化は、長期旅行で体重計でのチェックを怠った期間であるし、この4、5月は、3月24日の下腿骨打撲損傷が影響している。

これらの復活の指令塔が、ボクが毎朝乗る体重計というわけ。 なお、最新の機種はパソコン不要、スマホで同じことをしてくれる。

 オムロンの「わたしムーヴ」
       
# by from76 | 2015-05-21 11:16 | からだ | Trackback | Comments(0)

2ヶ月ぶりの体成分検査 (2015/5/15) 

ほぼ2ヶ月ぶりのスポーツクラブ、まず、Inbody 720(Body Composition Analysis)に乗って計測。

終わって筋トレ40分。次いで、ウオーキングマシン、時速6.3キロで30分歩く。この程度だと心拍数80代、傾斜をつけて100近くにするればよいのだが、今日は控えめで済ませる。

前後のストレッチと最後のシャワーとで、クラブ滞在は2時間と少々。

帰宅後、計測データをパソコンに入力、主なデータをグラフ化した。2010年10月から5年半の推移を示す。

上から、
 ● 筋肉量   40.0Kg → 40.0Kg 
      ほぼ横ばい。だが、《骨格筋量不足》の警告が出る。
 ● 体脂肪率  17.6% →  22.8%
      体脂肪量に比例してアップする。
      目標は、5年前に戻すこと。
 ● 体脂肪量  9.1Kg → 12.5Kg
      年々上昇、下げる努力も一向に効果なし。
      《軽度肥満》の警告あり。
 ● ヘモグロビンA1c  6.1 → 6.5
      前回7.2まで上がったが、この春低下した。もう一踏ん張り・・・

できるだけウオーキングをしているものの、筋トレのクラブ通いが少なすぎる。1・2月 各4回、3月2回、以降ゼロ。

 ↓ 同じ期間の《基礎代謝量》の推移。 なんとか横ばい・・・

                《基礎代謝を増やそう》
# by from76 | 2015-05-16 10:54 | からだ | Trackback | Comments(0)

朝鮮半島南部と日本列島の交流 (2015/5/14)

17:00~18:50 明治大学講座「古代日本と朝鮮渡来文化」 全7回の2回目。講師:明治大学文学部特任講師・金任仲

今日のテーマは「朝鮮半島南部(伽耶)とヤマト政権との交流の歴史を文献史学の立場から検証する」であった。
資料1 魏志倭人伝に関連して
 韓伝のほうに「辰王の国に産する鉄を『韓・濊・倭皆したがってそれを取る」とある。この鉄は「砂鉄」である。この鉄を運搬した船(8~15m)の一部が韓国から出土している。船材は楠・杉、いずれも日本産である。

資料2 『日本書紀』神功皇后46年(366)条
 百済より伽耶の方が先に日本列島と交流していた。

資料6 『日本書紀』神功皇后49年(369)条

 「(倭の)千熊長彦と百済王は、百済国に至り、辟支山(へきのむれ)の登って誓った。また、古沙山(こさのむれ)に登り、百済王は『千秋万歳まで絶えることなく、常に西蕃(にしのとなり)と称し、春秋に朝貢いたします』と誓った」の下りにある「山」の読みを「むれ」としているが、ハングルで 「山」 は、「mu-ye → mul-le」と読む。 日本書紀にハングルを取り入れている一例だが、両国語を勉強してきた私にしかできないことである、としてボードに書いた。


資料7 神功皇后50・51・52(372)年の条

 百済と日本との国交の始まり説明する記事。52年の条にある、百済王が倭に「七支刀一口」を献上したという記事、韓国には「七支刀」は存在しないし、史料もないが、事実とみてよい。(図は配布資料中にあったが、右はネットから借用した。以下同様)
 
資料9 広開土王碑 2段目の辛卯年(391)の条

 日本学会の解釈にたいして、韓国側の解釈が相違するは、日本の「三韓征伐」や「任那日本府」などが韓国側のトラウマになり、それに拘りすぎるからだ。
 同じ明治大学出身の歴史学者・李進熙が唱えた、旧大日本帝国陸軍による改竄・捏造説は,中国側の学者によって否定された。

以下、資料は10まで続くが、熱弁は時間の経過を忘れさせ、事務局からの催促で、20分延長して終わった。

教室を出たのは19時ちょっと前、日中に比べて歩きやすかろうと、秋葉原で焼酎1杯と回転寿司2皿を食し、腹ごなしを兼ね、自宅まで早歩き。明治大学から自宅まで4.3Km。今日の歩数計は 9,500歩(起床からの計)

 
 

 
 
 
# by from76 | 2015-05-15 17:57 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

御年88 大塚初重先生の講義 (2015/5/11)

14:00~16:00 明治大学リバティーアカデミー2015年度講座 「古墳発掘の成果と古代史像の変革(2) ~奈良県・箸墓古墳は卑弥呼の墓か?」 講師:明治大学名誉教授 大塚初重

全12回の2回目の講義。1回目は欠席、事務局からレジメ(「楯築弥生墳丘墓が語る古墳出現期前の社会」 5枚)を受領。受付の受講者リストをみると計177名の名がある。リバティーアカデミー講座No.1を誇るのでは?

大塚先生は、冒頭 「今日はNHKのテレビ取材が入っています。テーマは『登呂遺跡発掘70年』、当時、発掘を担当した先生方は一人もいなく、学生として参加した者も私ぐらい、ということで取材の申し込みがありましたので・・・

去年から今年にかけ多くの考古学の先生方が亡くなられ、淋しい限りです。私も11月で89、数えで90歳になります。足腰の衰えを感じてきましたが、続けられる限りは頑張りたいと思います。」と。

たまたま、教室に入るエスカレータで、先生の後ろについ上がる羽目になったが、大きな皮の鞄を右手に、背筋を伸ばし、しっかりした足取りは、まだまだ・・・とお見受けした。

講義は2時間たっぷり。テレビ取材班も最後まで教室内を行ったり来たりしていた。
 ↓ 画像(上空から見た箸墓古墳)について説明する大塚先生。


レジメ5枚、古墳の周辺から採取した土器・埴輪と近辺の古墳からの出土品を対比しながら、魏志倭人伝の卑弥呼に関する記述は信じてよいが、箸墓古墳が卑弥呼の墓だとはいいきれない。優柔不断のようだが、白石太一郎先生のように卑弥呼の墓だとは断定できないな~





# by from76 | 2015-05-14 16:09 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

5月の前方後円墳研究会 (2015/5/8))

13:00~17:00 前方後円墳研究会に出席。

昨年9月からスタートしたテキスト「シンポジウム『古墳時代の考古学』(学生社)」の研究発表の最終回。次の3テーマについて報告があった。 

① 五、古墳時代の人はどんな生活だったか
    4.古墳時代の北と南(P241~250)
     
  報告者:ほぼ1年、準備期間があったので、その間何度か、北海道のアイヌの部落へ、また、沖縄の島々を訪ね、それぞれ古老から話を聞いたりして古墳時代および縄文・弥生時代の文化について調べた結果に触れながら報告。 

② 六、古墳はなぜ造られなくなったか
    1.各地の終末期古墳(P251~268)

  報告者:A4 7ページのレポ-トンのほか、テキストに登場する古墳、テキストにはないがご自身が訪ねた古墳を加えた62古墳について、所在地・墳形・築造時期・長さ・石棺・副葬品等・須恵器編年・その他について調査した一覧表、さらに、それを、地区別・四半期別の表に編集した表を添付して配布。  

③   2.古墳終末の意味(P269~272)
   報告者:テキストに記載のない「東アジアからみた墳墓文化・ユーラシア大陸の墳墓文化・世界宗教(仏教・キリスト教)の普及と墳墓文化への影響」など、世界的視点からの古墳文化にも言及。

「皆さん勉強のしすぎです。皆がこのような濃密な内容の報告をする必要はありま
せん。テキストの内容をしっかり纏め報告するだけでも結構です。大学時代しなかった
勉強を今更取り返す程、頑張る必要はありません。報告者は、他の報告者を気にせず
肩の力を抜いて、自分流に気楽にしゃべって下さい。いろいろな報告パターンがあって
良いと思います。」

とメッセージされるを会長ご自身、研究会終了後、テキストの要約とQ&Aの一部始終を議事要録としてまとめ、即日、全会員に送信される。

各位の驚異的な取り組みにはただただ頭が下がるのみ。

不意に体調不良を来すことなきにしもあらずと、報告の分担に手を挙げないボク、会員としての資格なし? と反省することしきり。
  
# by from76 | 2015-05-13 09:21 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

映画「あの日の声を探して」 (2015/5/9)

5月8日のNHK「あさイチ」で、中谷文彦アナ一の「特選/エンタ」は、84回アカデミー賞受賞作「アーティスト」のミシェル・アザナビシウス監督の作品「あの日の声を探して」を取り上げた。熱のこもった推薦の弁に鵜呑みにして有楽町の映画館まで出かけた。

この映画の主人公は二人。一人は「チェチェン紛争で、ロシア軍により両親を目の前で銃殺され、そのショックから声を失ってしまったチェチェンに暮らす9歳の少年、ハジ。戦場を逃げ回るうちに、EU人権委員会の職員として、紛争被害者の証言を集める35歳のフランス人女性、キャロルに拾われ、やがて口が利けるようになり、別れ別れになった姉、チェチェン人の家の玄関に捨ててきた弟とも再会できて・・・


もう一人は、ある日突然、軍隊に強制的に入隊させられてしまった19歳のロシア人の青年、コーリャ。訓練中における先任者の情け容赦ない”いじめ””リンチ”、新しい配属先は、前線からヘリで輸送されてくる戦死者の血まみれの遺体を裸にして棺桶に収容する作業、転属を願い出て最前線に送られ、やがて、平気でチェチェン人の住居を破壊し殺人を繰り返す。



9歳といえば小学2年生、ほとんどがカラダによる表現のみ。かわいらしい子供らしさが涙を誘う。もう一方は、戦車が、ヘリが、弾丸が飛び交い、鮮血が飛び散る戦場の凄惨な場面が、これでもかこれでもかと繰り広げられる。

9歳の少年と、19歳の青年に接点はない。ただ、なんの罪もない戦争被害者の運命と、戦場に狩り出され狂気のように銃を撃ちまくる戦争加害者の運命を交互に描くだけ。

「戦火のゆくえや戦闘行為そのもの、そして政治的な善悪には直接的には触れず、あくまでも人々の視点から戦争を描くヒューマンドラマです。」とあったが、誰も悲劇を止めることのできない無力感だけが心に残った。

神田祭が最高潮の日、お祭りを犠牲にして観に行った映画だった。
# by from76 | 2015-05-12 10:54 | アート | Trackback | Comments(0)

終日、六本木で (2015/5/7)

六本木の国立新美術館で開催中の「ルーブル美術館展」へ。途中、ミッドタウンの前で、最近登場したと思われる怪獣にであう。

フジフィルムスクエア」に立ち寄る。井賀孝写真展「不二之山_新」に入る。「写真撮影オーケーです。ブログなどで宣伝して下さい」との張り紙あり。極寒の富士山頂の写真など何枚か撮らせてもらった。


 ↓ 国立新美術館のエントランス

まず「ルーブル美術館展」に入る。連休明けとあって伝え聞いた入場待ちや行列なしのゆったり鑑賞。16 世紀から19 世紀半ばまでのヨーロッパの日常を描いた風俗画が83点。ほとんどが初めて観るモノばかり。次いで、「マグリット展」に入る。

ルネ・マグリット(1898-1967)は、ベルギーの国民的画家、20世紀美術を代表するシュルレアリスムの巨匠である。世界10か国以上から代表作約130作品を集めた回顧展は2002年以来13年ぶりだという。観る機会の少ないシュルレアリスムの世界、ボクにとって殆どが理解不能、途中で、解説のイヤフォンを借りてきたが、それでも抽象的な解説で???の連続。

終わって、「5月7日は無料日」と表示のあった「国展」に入る。絵画・版画・彫刻・工芸・写真の5部門の作品が1Fから3Fまで、早足で会場を回ったが、途中で閉館のアナウンス。もう一度出直して来たくなるような大作がズラリと並ぶ。


 ↓ 午後6時、3階からのスナップ



夕食はミッドタウンで平田牧場の「ヒレカツ膳(120g)」、ここの売りは三元豚のロースカツだが、脂身の少ないヒレカツをオーダーした。絹のようなきめ細やかな肉とボリュームたっぷりのキャベツでほぼ満腹、ご飯は半分のまた半分で。平田牧場の本拠地は、山形県の庄内だとは、3月1日山形駅構内の食堂「平田牧場」で知った。

 ↓ 食事を終えて通りにでると、怪獣がひとときわ目立つ存在に・・・

# by from76 | 2015-05-11 22:02 | アート | Trackback(1) | Comments(0)