111歳の後藤はつのさん (2014/9/12)

近所にお住いの後藤はつのさんから「感謝!お陰様で111歳になりました。」とのはがきをいただいた。表の署名はご本人の直筆。正しい姿勢、笑顔でお立ちになっておられる。なにより、オシャレが素晴らしい。色彩感覚がいい。

                後藤はつのCollection

9月15日時点で、全国の100歳以上の高齢者は5万8820人だそうだ。うち女性は5万1234人と全体の約87%を占める。

国内最高齢は、女性が116歳、男性は111歳。それぞれ世界最高齢としてギネスブックに認定された。後藤さんは、さらにそれを上回るように、と祈ってやまない。

# by from76 | 2014-09-13 14:55 | 身辺の出来事 | Trackback | Comments(0)

2ヵ月ぶりの前方後円墳研究会 (2014/9/12)

8月の夏休み明けの研究会に出席した。

まず、自主学習会を1時間。出席は任意だが、毎回、全員が参加する。
 テーマは、「古墳辞典-4.古墳の築造と外部施設と内部構造」

次いで14:30まで研究会。今月から新しいテキストになった。「シンポジウム「日本の考古学」④『 古墳時代の考古学』」(学生社)

1995年6月に東京で、古墳時代を専攻する6名の研究者が「古墳時代の考古学」をテーマに、2日間にわたって話し合った記録である。

司会者・白石太一郎先生の問いに対して、5名の新進気鋭の研究者が、それぞれ持論を展開する。体系的とはいえない文章の羅列を、担当者が、体系的に取りまとめて会員に報告する。

持ち時間は1時間、報告30分、討論30分だが往々にして議論白熱してタイムオバーする。

今月の
テーマ① 「現象としての“古墳”の出現」
テーマ② 「古墳の年代と古墳時代の時期区分」

テーマ②の担当者は、これまでとは異なった切り口で報告した。それは、担当ぺーに内のキーワードをピックアップし、それぞれの解説と図説(21図)を用意した。A4 6ページ、B4 3ページ。

ちなみにピックアップされたキーワードを上げる。
 時期区分 相対年代 歴年代 紀年鏡 編年的研究 五段階編年 陶邑編年 陶器山15号型式 陶器山15号窯型式 高蔵47号型式 前期 中期 後期 終末期 区分法 三時期区分法 四時期区分 時代区分

大学教授並の資料の用意と、その話しぶりに舌を巻いた。いつも同様、レポートやは図説はスキャンしてクラウドにアップしよう。

討論のうち、もっとも時間をとったのは《三角縁神獣鏡》だった。ネットにも詳しい記事があったのでリンクを貼っておく。

17:20~19:30 神田小川町の「台北風情」で納涼会。
 ↓ 深夜、撮影者から送信あった。会長もまた帰宅後、研究会の記録をA4版 5ページにびっしり、全員に深夜送信する。会員それぞれ担当に応じてベストを尽くす。「古墳」以外にも学ぶことの多い研究会である。
 最後の自己紹介、それぞれ、ふだん見えないな面が見えて楽しい。
          

  


# by from76 | 2014-09-13 10:02 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

「韓国の一つの終わり」 (2014/9/11)

タイトルは、産経新聞(2014.7.20)コラム(黒田勝弘)からの引用である。本文の前半を転載する。
                         ★
 「先日、韓国でインスタントラーメンの草分けだった「三養(サムヤン)食品」の創業者、全仲潤(チョン・ジュンユン)名誉会長が亡くなった。94歳だった。インスタントラーメンは1958年に日本で開発され、その後、世界に広がった。現在、世界で最大の生産国は中国だが1人当たりの消費量では韓国が世界一である。

 その韓国で1960年代に初めて製造販売を手がけたのが、全仲潤氏だった。世界インスタントラーメン史の初期に、彼がどのようにしてそれを始めたのか、その歴史は何回、思い出しても感動的である。

 彼は、日本で1959年に食べたインスタントラーメンのことが忘れられず、まだ貧しく食糧難だった韓国の国民に「何とかあれを食べさせられないものか」と一念発起し、日本からの導入を決意する。国交正常化2年前の1963年、「国民の窮乏を救いたい」という彼の志にいたく共感し協力を約束してくれたのが「明星食品」の当時の奥井清澄社長だった。

 技術提供は無償(!)。全仲潤氏は明星食品の工場に10日間、通い詰めて製造技術を学び、最大の難問だった原料配合表(レシピ)も提供された。帰国後、明星食品から技術者が1カ月間、派遣された。製造機械の半額提供以外はみんな無料だった。こうして翌1964年、初めての製品が出荷され、これが“ラーメン王国・韓国”のスタートとなった。

 全仲潤氏の死去に際しては韓国のマスコミも「庶民の飢えを解決した“ラーミョンのゴッドファーザー”」(東亜日報)などと大きく報道していたが、肝心の明星食品との“美談”に触れたものはなかった。

 生前、彼に長時間インタビューしたことのある林廣茂・前同志社大教授によると、彼は青年時代だった日本の戦時中、ソウル(当時は京城)で逓信省の仕事をしていて、同僚の日本人たちが「この戦争は日本の負けだ。そのうち朝鮮は解放されるからもう少し辛抱しろ」といっていたと、心優しい日本人の思い出を語ってくれたという。

 また日韓併合など過去の歴史については「不幸の始まりだったが、ロシアや中国の支配下に入らなかったことは不幸中の幸いだった」というのが持論だったという。」
                          ★

右の本は、「旅客船セウオル号」の横転・沈没事件から始まる韓国メディアの記事をもとに、韓国の「真の姿」をつまびらかに描く。

滅公奉私、自己反省なく他者にのみ謝罪を求める姿だ。こちらが低姿勢にでれば付け上がるだけ・・・  「あとがき」に、
            ★  
「朴正熙には『我が5千年の歴史は、一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった』(朴正熙全集2-国家」・民族・私-」朴正熙著、鹿島研究所出版会刊)とする認識があった。

だからこそ「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を全体的に改新しなければならない。/このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史はむしろ燃やしてしかるべきである。(同前)という国家革新の意欲が続いた。

だが、娘の朴槿恵大統領が語るのは『わが栄光の5千年の歴史』だ。この歴史からは国民精神を根底から変えるような改革意欲は出てこないだろう。

退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史は、朴正熙軍事クーデターの一時期だけ断絶したが、その後は旧に復した。
                        
朴正熙を担いだ青年将校たちは、やがて「新悪」になっていく。旧悪の追放者が新悪になる――これも、半島の変わらざる歴史だ。」
                         ★
日本は、厄介な隣人をもったものだ。

 
# by from76 | 2014-09-12 10:51 | 身辺の出来事 | Trackback | Comments(0)

マダム・イン・ニューヨーク (2014/9/2)

午後、7月11日NHKあさイチの「特選!エンタ」が紹介したインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」を、「シネスイッチ銀座」で見た。

かつて、インドを旅したことがあったがあった、インド映画を見るのは多分初めてだ。インドのごく普通の主婦が、ある日、ニューヨークに暮らす姉から、姪の結婚式の手伝いを頼まれ、華族より一足先に一人でニューヨークに行くことになった。

英語ができない主人公は、カフェでコーヒーすらも頼めず、終には店内をパニックに陥らせてしまう。打ちひしがれていた彼女の目に飛び込んできたのは「4週間で英語が話せる」という英会話学校の広告だった。

家族にはもちろん、ニューヨークの姉たちにも内緒で学校の通い始めた。学校には世界中から英語が話せない生徒たちがいた。

結局4か月後、姪の結婚式で、新郎新婦に心に残るスピーチを、りっぱに英語でやってのけた。ヒンズー語とやさしい英語が飛び交う、コミカル、かつ、ミュージカル風で、コピット涙も・・・。

ニューヨークに飛び込んで、「『4週間で英語が話せる』教室」に通いながら、2,3ケ月滞在、憧れだな~。



             マダム・イン・ニューヨーク公式ホームページ
# by from76 | 2014-09-10 11:50 | カルチャー | Trackback | Comments(0)

卑弥呼の鏡 (2014/9/6)

13:00~16:00 日本青年館にてJR東海ほか主催の「奈良学文化講座『”卑弥呼の鏡”と揺れ動く2・3世紀の東アジア』」あり。開場30分前、すでに大半の席が埋まっていた。やはり、高齢のご婦人が目立つ。背を丸め杖にすがってゆっくりゆっくり歩く高齢者あり。その熱心さは、いったいどこから?

司会:NHK歴史秘話ヒストリア案内役の渡邊あゆみさん

演題1 「”ヒミコの鏡”、魏から贈られた「銅鏡百枚」のゆくえ」 西川寿勝(大阪府教育委員会文化財保護課)
卑弥呼が魏の皇帝からもらったと議事倭人伝にかかれている鏡100枚は、言葉通り、国中に配布し、魏との同盟関係を喧伝した。全国の古墳から発見される三角縁神獣鏡がそれである。だが、それはすべて棺の外に並べられ、棺内の枕元には一面だけ画紋帯神獣鏡が(奈良県黒塚古墳・椿井大塚山古墳)、あるいは、金箔を施した方格規矩鏡(福岡県一貴山銚子塚古墳)が置かれた。

棺外と棺内、2種類の鏡があり、三角縁神獣鏡は棺外。枕元の鏡は被葬者を納棺する密儀で持ち込まれたもので、棺外の三角縁神獣鏡は、古墳が完成して収めた棺を封印するための葬儀のものか?

西川さんは、これまで500面以上発見されている三角縁神獣鏡について語ったが、次の今尾さんのテーマは、たった1枚の神獣鏡にまつわるものだった。

演題2 「もたらされた呉の鏡と2・3世紀の東アジア」 今尾文昭(橿原考古学研究所調査課長)
大正12(1923)年、神戸六甲山麓に造られた夢野丸山古墳から重列式神獣鏡が発見され、梅原末治によって発表された(「考古学雑誌」第14巻5号)。わが国に例のない鏡だとして注目されたが、やがてその存在は忘れられ、現物も行方不明となった。
 ↓ 夢野丸山鏡(上記報告書から)

その後、森本六爾資料に中に、その複製品を発見した。
 ↓ 夢野丸山鏡(複製)の三次元計測像

これを、中国で発見された重列式神獣鏡と比較すると、夢野丸山古墳出土の重列式神獣鏡は呉で制作されたもので、魏志倭人伝より前、つまり2・3世紀、呉から倭への文物の流入があったのではないか?

配布資料は、A4版11ページ。
# by from76 | 2014-09-07 13:05 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

琵琶湖巡り③ 渡岸寺・醒ヶ井・伊吹山 (2014/8/2)

3日目、出発前に長浜城周辺を散策。
 ↓ 観光の目玉として昭和58年、市民からの寄付で復元した。鉄筋コンクリート造り、3層5階建て。

 ↓ 9:45 念願の渡岸寺(現向源寺)に到着。山門をくぐる。

 ↓ 本堂。その左手に「国宝十一面観世音を祀る渡岸寺観音堂」が伸びる。

 → 国宝十一面観世音(ネットから借用) 
頂上面をのぞいて全身一木造り。豊麗な姿で、腰をわずかにひねるかのようなポーズは、官能的ともいえる美しさである。平安時代初期を代表する像。
 ↓ 十一面観世音はぐりと一周して拝観できるよう立っておられ、その背中には「暴悪大笑面」が彫られていた。
悪を暴いて笑い飛ばし、良心に目覚めさせるという意味があると、説明してくれた。どの十一面観音像にもあるが、拝見できるのは、この像だけとか。   
次いで、旧中山道の醒ヶ井宿に移動。街道に沿って流れる地蔵川を歩く。


伊吹山麓で昼食、13:15伊吹山ドライブウェイに入る。
 ↓ 13:50 伊吹山駐車場に到着。正面に、頂上にいたる大きな斜面が広がる。花に時期が過ぎて緑一色、かつ、写真では平坦な花畑を想像していたが、けっこうな斜面なのであった。

 ↓ ゆるやかな回り道もあったが、正面中央の階段道を選び往復した。


 ↓ 花を探し探し登ったのだが、すれ違った人から、今年は大不作と聞いた。





 ↓ 標高差117mを登って伊吹山山頂(1377m)に至る。

往復1時間45分の山歩き。16:35 伊吹山を下り16:40 岐阜羽島駅到着、17:44発のこだまで帰京した。今日の歩数計は 9,930。

つまみ食いのような琵琶湖巡りだったが、初めて通る道ばかりで、ま~ま~の旅であったか。


# by from76 | 2014-09-07 12:42 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

琵琶湖巡り② 比叡山・竹生島・長浜 (2014/9/1)

8:30 ホテル発、山科を経由して比叡山ドライブウェイに入り、
 ↓ 9:25 延暦寺到着。霧の中を根本中堂に向かう。



何度も来た寺、だが、僧侶の説明を聞くのは初めてか? 10:45 延暦寺を発つ。
 ↓ 琵琶湖西岸を走り、11:35 白髭神社に到着。湖中に朱塗りの大鳥居が見える。

 ↓ 白髭神社の拝殿。寛永元(1624)年、大溝藩主分部光信の造営。

 ↓ 同じく本殿(重文)。慶長8(1603)年、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として造営、このときの棟札が残っている。 祭神は猿田彦命。

 ↓ 今から30年余り前、高島町マキノ高原を縦貫する道路2.4キロに500本のメタセコイヤが植えら観光名所に・・・


 ↓ 今津港から25分、竹生島が見えてきた。14:40
 
 ↓ 竹生島の全景

 ↓ 桟橋前の土産物店を過ぎると、すぐ目の前に急こう配の石段が現れる。2か所の踊場をはさんで220段余りを一気に昇る。

 ↓ 階段を上がり切ると、眼前に日本3弁才天の一つを祀る弁才天堂(宝厳寺本堂)が現れる。開山は724年、現本堂は昭和17年再建。

 ↓ (国宝)唐門。秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で現存唯一の大阪城の遺構として注目されているとか。唐門に続いて、千手観世音菩薩を納めた観音堂あり、西国33ケ所観音霊場めぐりの30番目の札所となている。


 ↓ 急斜面に架けられた舟廊下(重文)を渡って都久夫須麻神社(竹生島神社)へ。

 ↓ 都久夫須麻神社(竹生島神社) 秀吉が時の天皇をお迎えするためにその時代の粋を集めてつくった「日暮御殿」という伏見城最大の建物を神殿として寄進したもの。桃山時代を代表する建築物として国宝に指定されている。

1時間、竹生島に滞在、長浜港に移り、ここでも1時間、長浜市内を散策する。
 ↓ 竹生島から20、長浜港に入る。正面は今夜の宿、長浜太閤温泉ロイヤルホテル。

 ↓ まずは、大手門通りから。黒壁ガラス館など城下町の雰囲気を遺そうと懸命な様子が伺える。

 ↓ 大通寺(重文)。伏見城の遺構と伝わる大広間、圓山応挙や狩野山楽らの襖絵など見どころいっぱいと聞いたが、16:30閉門で見学ならず。以下、山門と本堂。


17:15 ホテル着。本日の歩数計 8,500。歩数は少ないが、竹生島の石段の上がり降りは応えた。
# by from76 | 2014-09-05 13:45 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

琵琶湖巡り① 彦根城・渡岸寺 (2014/8/31)

8月31日~9月2日 クラブツーリズムの「琵琶湖に浮かぶ神秘の島『竹生島』・滋賀をじっくり巡ります近江11景ハイライト」に参加した。

お目当ては「彦根城」、1999年の大晦日に訪ねたが閉門されていて城内に入れず。次は、井上靖の「星と祭」を読んで以来念願だった渡岸寺の「十一面観音像」拝観、3つ目は、標高1377mの伊吹山のお花畑。

初日の旅は、11:18東海道新幹線「米原駅」駅下車から始まった。まずは彦根城へ直行。
彦根城は、関ヶ原の合戦後、徳川家康が家臣の中でもっとも勇猛とされた井伊直政に命じて築かせたもの。北国街道、中山道、東海道という交通の要衝にあり、まだ大阪城に健在だった豊臣家への備えとして必要であった。完成は慶長12(1607)年ころ。
 ↓ 入場口を入ると、いきなり表門山道だ。

 ↓ 廊下橋を渡って左手の天秤櫓をくぐる。長浜城からの移築だというこの橋、非常時には落とされる。

 ↓ 天秤櫓(重文)の先、再び、坂道が続く。

 ↓ 太鼓門櫓(重文)をくぐって、やっと3層3階の天守(昭和27年国宝に指定)が現れる。寺院風の華頭窓や唐破風、千鳥破風に飾られた瀟洒な印象だ。大津城からの移築だという。

 ↓ 最上階は、日曜日とあって、切れ目なく人並みが続いた。

 ↓ 最上階からの下り、登り同様62度、60度の階段を、左手に靴、右手で手すり、へっぴり腰で下りる。

 ↓ 帰りは、黒門山道をくだる。ゆるやかな坂道が右に曲がり左に曲がりする。

 ↓ (名勝)玄宮園に入る。

 ↓ (茶室)鳳翔台越しに天守を望む。

13:30 彦根城をあとに近江八幡へ。バスは琵琶湖東岸の道を走る。近江八幡に近づくと「安土城」のあった安土山が見えてきた。「安土城」は織田信長が天正4(1576)年に築いた、わが国最初の総石垣の城であった。山頂に5重7階地下1階の天主と呼ばれる高層建築が造営されたが、天正10(1582)年の本能寺の変後放火され灰燼に帰した。築城わずか6年の寿命であった。

安土城への関心は、2年前の7月、奈良大学のスクーリング文化財学演習Ⅱの講義が、安土城の発掘を担当した千田嘉博教授で、ご自身の発掘体験を題材にしたからだ。惜しいかな、今回は安土山を遠望したのみ。

14:15 近江八幡に到着。ここにも、、八幡山城があった。城は、桃山時代に豊臣秀吉の甥である秀次が築城、安土城の城下町を移し、琵琶湖に通じる掘割を開削したり、楽市・楽座を設けたりした。城は、秀次亡きあと廃されたが、江戸時代には八幡商人の町として栄えた。
 ↓ まず、日牟礼八幡宮参拝。
 
 ↓ 八幡掘

 ↓ 「かわらミュージャム」への道、かつてこの地には、多くの瓦工場があったという。
 
15:40 近江八幡をあとに、琵琶湖大橋・国道477号・途中・さば街道・大原を経由して、17:30 京都四条のビジネスホテルに入る。
# by from76 | 2014-09-05 11:01 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

「発掘された関東の遺跡2014」 (2014/8/24)

10:00~15:10 江戸東京博物館1階ホールでの「遺跡発表会『発掘された関東の遺跡2014』」に出席。折りから5・6Fで開催中の「発掘された日本列島2014展」にちなんだイベントである。

関東各県の文化財担当者によるスライドを使った解説のほか、「発掘された列島展」が、今年20回目となるところから文化庁の林正憲氏(文化財部記念物課埋蔵文化財部門)から、列島展に対する取り組み、今回の展示についての特別講演があった。
 ↓ 会場で配布された全46ページの冊子

 ↓ プログラム

せっかくのイベントだが、昨日のよみうりホールに比べてこちらは空席が目立った。
# by from76 | 2014-09-05 10:43 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

第11回 三輪山セミナー イン東京 (2014/8/23)

13:00~16:40 読売ホールでの「第11回 三輪山セミナー イン東京」に出席。ことしも1100名のホールが満席となる。40%近くが60・70歳代のご婦人とみたが・・・ 


冒頭、鈴木寛治大神神社宮司が挨拶。大神神社と伊勢神宮・出雲大社との歴史について触れ、ぜひ、大神神社にもお参りくださいと・・・  

藤原茂樹「椿は王の木」は、上代の文献に登場する「椿」に始まり、「椨(たぶ)」「さしぶ」「馬酔木」「しゃしゃんぼ」「ひさかき」「かんなび」等々、A4 19ページに及ぶ資料をもとに講演

石野博信「邪馬台国時代・纏向王宮への道のり」
1971年(昭和46年)から橿原考古学研究所の一員として発掘調査にかかわった、その成果を踏まえ、さらに、今年2月9日、現地説明会のあった新発見の建物について触れ、「東西150mの長方形区画の真ん中を貫くように、規格性を持って並ぶ建物群がほぼ確認できた。3世紀ではとんでもない大きさ」と指摘、「卑弥呼と後継者の台与(とよ)の居館域だった可能性が強まったのではないか」と述べた。

だが、邪馬台国九州説の立場からは、魏志倭人伝が語る「宮室」はあっても、「楼観」「城柵」がないではないかと反論されると。
# by from76 | 2014-08-29 12:18 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)
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