熊野比丘尼と参詣曼荼羅 (2014/7/28)

19:00~20:30 日本橋・室町 『三重テラス』での熊野古道セミナー(第3回)に出席した。熊野古道世界遺産登録10周年を記念したセミナーで、昨年の5回に続く、今年3回の最終回。

演題:「熊野三山参詣曼荼羅を絵解く」
講師:山本殖生(しげお)氏 (熊野三山協議会幹事)

熊野比丘尼は戦国時代~江戸時代にかけて、熊野三山の本願所寺院所属の尼僧として、社堂の修復資金を勧進(浄財集め)するために、全国に「参詣曼荼羅」を持ち歩き、絵解きをしながら熊野三山のご利益をPRした。若い尼さんもいて多いときは数千人いたという。
 ↓ 熊野比丘尼の絵解きの場面。
傍らに小さい女の子がいる。3歳~5歳くらいから寺に引き取られ比丘尼として仕込まれた。絵解きの現場では募金集めに一役買ったのだろう。

 ●中世、100年以上途絶えていた伊勢の遷宮を復活させた慶光院清順も比丘尼の一人。

 ↓ 募金応募者には護符(熊野牛玉宝印)・梛の葉(神木・夫婦和合)などを配った。

 ↓ 「熊野観心十界図」 
中央の「心」の字を中心に、上方に人生の老いの姿、下方に地獄から極楽まで十か所の世界を描いている。「あなたの心の持ち方次第で、どこへ堕ちるかわかりませんよ!」という怖い絵を、指さししながら解いて聞かせた。同じような絵が全国で約58本見つかっている。なお、原画には文字の書き込みはありません。以下同じ。

 ↓ 「那智参詣曼荼羅の旅」 
補陀落渡海(海上他界)・和泉式部(女人参詣)・龍神・文覚上人・大己貴命・神武天皇などなど、時空を超えた摩訶不思議な世界、霊験説話、救済伝承がふんだんに盛り込まれ、聴く者の魂を揺さぶる仕掛けになっている。こちらは全国から36本が見つかっている。

 ↓ 「熊野本宮参詣曼荼羅」
本宮を中心に置き、そこへ至る参詣道を、名所旧跡や時空を超えた人物を織り込みながら紹介している。

 ↓ 「新宮参詣曼荼羅の旅」
熊野新宮の素晴らしい聖地世界を多くの人に知ってもらおうと地元に人が作成した。

 ↓ 自ら熊野比丘尼に変装して曼荼羅の絵解きを行なう山本講師。スクリーンは曼荼羅を部分拡大して表示。

ボクは熊野三山には1~3回お参りしている。といっても車を使ってだ。出来れば熊野古道を歩きたいと、古道歩きの本も何冊か入手していた。

いま、もっとも行ってみたいところが神倉山と伊勢路の花の窟屋神社

 ▼ ちょっと長いが、「新宮参詣曼荼羅の旅」の絵解きを転載した。

「新宮参詣曼荼羅の旅」の絵解き
# by from76 | 2014-07-29 11:48 | カルチャー | Trackback | Comments(0)

9月で111歳・・・ (2014/7/26)

110歳の後藤はつのさんから、5月22日に谷津バラ園で撮った写真入りのはがきをいただいた。バラも顔負けのオシャレとニッコリ笑顔・・・ 

はがきの表には、「河出書房新社から、はじめての本を出版することになりました。出版社のライターに提供したいので、はつのさんに初めて会ったときに感想、はつのさんにまつわる心に残るエピソード等があったら知らせて下さい」とあった。

ボクが初めてはつのさんにお目にかかったのは、2011年9月11日、区の施設・緑コミュニティセンターで山崎墨田区長から、108歳の賀詞と花束を贈るイベントがあったときだ。センターはすぐ近くだ。「108歳」の人は、どんな人? と会場の隅に座った。

はつのさんは、家族に手を取られてステージに登壇、だが、区長からお祝いを受ける場面では、介添えなしで直立不動。自分の手で、しっかりと受け取られた。同じ姿勢で歌も唄われた。

そのときのスナップより、谷津バラ園のはつのさんのほうが、いっそう若く華やいで見える。まっすぐに背を伸ばした正しい姿勢、時代の先をいくようなオシャレ振り。これこそが、理想的な老いの姿・・・・。                
                  後藤はつのの作品展
         
午後1時間、ジムで筋トレ。夜の隅田川花火大会はテレビで見物。迫力はまるでなし、だが、歩き回っても見られない場面を見ることができた。





 ↓ 打ち上げの場所

 ↓ 蛭子さんが船上で描いた<花火>

 
# by from76 | 2014-07-27 11:28 | 身辺の出来事 | Trackback | Comments(0)

神楽坂での阿波踊り大会 (2014/7/25)

有楽町からJRを乗り継いで神楽坂へやってきた。阿波踊りを東京で見るのは初めてだ。神楽坂商店会などの主催で、7/25・7/26、約22連・総勢3500人が参加する阿波踊り大会が行なわれると「TokyoWalker」で知った。
 ↓ 神楽坂下交差点から。車道は出番待ちの”連”、両サイドは、殺到する見物客

 ↓ 区役所・郵便局・信用金庫などなど地元の連が、日頃の愛顧にこたえるかのように懸命に踊る姿は超クールだった。






 ↓ こんな楽しい<おじさん>もいたぞ



 ↓ お囃子のみなさん



いや~ 阿波踊りは元気をもらえる、だが午後8時半、食事もまだだったので後ろ髪を惹かれる思いで会場を去った。今日の歩数計:7,300。



# by from76 | 2014-07-26 13:27 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

夕どきの数寄屋橋交差点 (2014/7/25)

うだるような暑さで日中動かず。夕刻、陽が沈むころなら良かろうと銀座のソニービルに出かけた。
 ↓ 屋外イベントスペースに大水槽が設置され、慶良間諸島の海にすむ25種類約1,000匹の魚たちが大集合したという。
 
 ↓ 水槽を取り囲んで

 ↓ 水槽の向こうに数寄屋橋交差点が・・・


 ↓ 1m超のメガネモチノウオ(別名 ナポレオンフィッシュ)

 ↓ 鏡に、カメラを構えるツレが・・・
 
ソニービルの筋向いは、当たりくじ多発で人気の高い宝くじ売り場だ。折から、ジャンボくじの最終日とあって長蛇の列が続く。
 ↓ 一人でも多くと

 ↓ なるほど「億の細道」には違いない・・・・ 

 ↓ この売り場から、平成の25年間に誕生した億万長者は447人、663億円とある。ボクには縁のない話。

 ↓ 今日は、「一粒万倍日」でもあったのか。一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという日

次いで、夏祭りが行われている神楽坂に移動。
# by from76 | 2014-07-26 12:51 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

難波の宮跡 (2014/7/24)

16:30~20:15 明治大学講座「日本書記を読む⑥」―「天武紀44」。

朱鳥元(686)年正月9日条に、「難波大蔵省失火、宮室悉焚。或曰、阿斗連薬家失火之、引及宮室。唯兵庫職不焚焉」 (難波の大蔵省から失火して、宮室がことごとく焼けた。「阿斗連薬の家の失火が延焼して宮室に及んだのだ」という人もあった。)とある。

難波の宮は、乙巳の変(645年)の後、中大兄皇子(後の天智天皇)らによって企画され、652年に完成し、孝徳天皇が遷都した。建物は、朱鳥元年(686年)の正月に全焼するまで、現在の大阪市中央区に34年の間存続した。

白雉5(654)年孝徳天皇の没後、斉明天皇(皇極天皇が重祚)により飛鳥板蓋宮に遷宮された。その後は、天平16(744)年になって、同じ場所に聖武天皇によって宮殿が築かれた(難波宮後期難波宮)。昭和28(1953)年、その跡地の発掘、調査が開始され、現在、>難波宮跡公園として整備されている。

吉村教授は、「いま、大阪歴史博物館で『難波宮発掘調査60周年記念特別展―大阪遺産 難波宮-遺跡を読み解くキーワード-』を開催しており、私も見てきました」とのこと。

実は16日、大阪での探訪先の一つに「難波宮跡」を上げていた。また、「大阪歴史博物館」も頭の隅にあったのだがサボってしまった。大失敗!

なお、内裏・朝堂院の構造がそれまで見られなかった大規模で画期的な物であったことから、大化の改新という改革の中心として計画的に造営された宮であるとされ、大化の改新虚構論への有力な反証となっている、という。
 ↓ 前期難波宮模型(大阪歴史博物館) ―ネットから借用

# by from76 | 2014-07-25 12:42 | 古代史を訪ねて | Trackback | Comments(0)

筋肉量と体脂肪率 (2014/7/23)


上の図は「InBody」で測定したボクの四肢と体幹部の筋肉量(実測値)の2007年3月から2014年7月までの7年間のグラフである。

グラフの左端と右端を比較すると、上段の「体幹」は5.7%の、下段の「右腕と左腕」は8.5%と、いずれもダウンなのに対し、中段の「右脚と左脚」は、5.1%のアップとなっている。

ダウンの原因は老化による自然減? アップは日常のウオーキングと、たまにしか行っていないジムでも、「下半身」をメインに筋トレしているからだ。

鍛えれば80代でも筋肉を増やすことはできる、の証明? ただし、実体重とのバランスでは、体幹と腕は標準以下、脚は標準値の最低すれすれ・・・

上の図は、「体脂肪率」。82歳の年、理想に一歩近づいたが、ツレが来てくれてから急上昇、InBodyの総合評価に「生活習慣注意2」とマークされ、目下、少しでも82歳の<15>に近づけようと、まず実行したのが、ホテルは<夕食なし>で泊まること。
# by from76 | 2014-07-25 11:21 | からだ | Trackback | Comments(0)

惣菜の特売が目当て? (2014/7/22) 

神戸から淡路島・鳴門へドライブ、再び、神戸へ戻って大阪から奈良へと回る5日間のドライブ旅行を終えた。といってもボクは助手席に座っているだけ。

だが、連日のウオークもあって、これまでにない疲れを感じ、3日間、自宅でゴロゴロ。

4日目の夕食後、これではからだが鈍るとウオーキングに出た。

道頓堀の賑いに負けない東京の繁華街はどこだ? だが思いつかない。結局、これといった用事もないのに、歩き慣れた親水公園を歩いてスカイツリへ。さすが、午後8時ともなるとソラマチは閑散だ。

通りかかった三省堂書店で、ボクは林真理子の「白蓮れんれん」を、ツレは「基礎英語①②」のテキストを、さらに、特売の惣菜を買って、午後8時半、もときた道を再びウオーキング。トータル5.6キロのウオークとなった。
# by from76 | 2014-07-23 12:54 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

奈良・東大寺 (2014/7/18)

旅の最終日、10時から「奈良ホテルの美術品&調度品めぐり」の案内をしてもらう。明治42(1909)年、「関西の迎賓館」として創業。館内のいたるところに往年を偲ばせる美術品や調度品がある。
 ↓ 吹き抜けの和風シャンデリア。擬宝珠は戦争中に供出し、現在は陶製だと。

 ↓ アインシュタイン博士が大正11年に滞在された際に、弾かれたピアノ

 ↓ 正面玄関にて。車を預けて、このあと、興福寺・東大寺へと歩く。 

                奈良ホテル
 ↓ 荒池越に望む興福寺の五重塔

 ↓ 平成23年誕生の東大寺ミュージアム

 ↓ 観光客のほとんどは外国人


 ↓ 鹿は暑さ知らず?


15:30 ホテルの駐車場に戻り帰途につく。
 ↓ 途中、湯の山温泉の露天風呂で汗を流す。予約なしでは夕食はできませんという。売店でビールとよもぎ饅頭をかって車に戻った。

 ↓ 四日市ICから高速に入る。夜の高速は、東京に向かうトラックが、抜いたり抜かれたり・・・

自宅帰着は午前0時45分。この日も歩いて 11,000 5日間で61,000余。ちょっと欲張りすぎた・・・


# by from76 | 2014-07-22 16:44 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

大阪から奈良へ (2014/7/17)

4日目、大阪から奈良へ。途中、今回の旅の目的の一つ大阪府太子町の磯長谷古墳群と法隆寺を訪ねる。
 ↓ 7:30~8:00無料入場券をもらって、あべのハルカスの60階「天上回廊」に上がる。東西南北360度に足元から天井までガラスを配した屋内回廊。一般客は9:00~

 ↓ 南方向を見る。左から4番目の矢印が<百舌鳥古墳群>の在りかを示す。

 ↓ 盆踊りのステージのあるフロアが天空庭園。上空まで吹き抜けである。

このホテル、予想以上に客が多いのにびっくり・・・ 
 ↓ 磯長谷古墳群と竹内街道(上中から右方向へ) 
古墳時代終末期(7世紀、歴史学上の区分では飛鳥時代)の古墳が集中して築造された。その多くが天皇・皇族級の大古墳であることから、別名・王陵の谷とも呼ばれている。

 ↓ 10:35 磯長谷古墳群に到着する。
まず、聖徳太子(廟叡福寺北古墳)へ。古墳は、叡福寺境内の最奥部にあり、丘陵の南斜面に築造された径50m内外、高さ10mほどの円墳である。石室の入り口の唐破風の覆い屋は江戸時代につくられた。太子のほか母君の穴穂部間人皇女、妃の膳郎女の棺がある。


 ↓ 叡福寺
 寺伝によると聖徳太子の死後、大使追福のために推古天皇の勅によって坊舎10姻を置いたのが叡福寺の始まりだといわれ、後に、聖武天皇が大伽藍を建立した。1574年織田信長の兵火によって全山焼失、豊臣秀頼の聖霊殿の再建を契機に伽藍の再興が始まった。

 ↓ 用明天皇陵(太子向山古墳)
 第31代の天皇で聖徳太子の父君にあたる。古墳の規模は、東西65m、南北60m、高さ10m、3段築成の方墳で、周囲に幅7mの空堀を巡らす。この濠の外提までを含めた規模は、東西100m、南北90mに達する巨大な規模を有する。天皇陵が前方後円墳から方墳に変わっていった最初の方墳と考えられている。 

 ↓ 敏達天皇陵(太子西山古墳/奥城古墳)  
 第30代天皇として572年に即位。磯長谷では唯一の前方後円墳で、南方から伸びてくる尾根上に立地しる。全長93m、前方部幅70m、後円部直径56m、前方部高さ12m、後円部高さ11.5mの規模を有する。墳丘は2段築成で、くびれ部の両側には造り出しが認められ、周囲には幅の狭い空堀を巡らす。
ここは、古墳に至る道標がなく、汗をかきかき、けっこうの道を歩かされる。


 ↓ 推古天皇陵(山田高塚古墳)
 日本最初の女帝・第33代推古天皇のご陵。東西63m、南北56m、高さ11m、3段築成の方墳。

 ↓ 二子塚古墳
 推古天皇陵の南東200mに位置し、方墳を2基つなぎ合わせた双方墳という他に例を見ない形式である。墳丘の全長は61m、幅23m、高さは東側が4.6m、西側が6m、大半が盛土によると考えられている。

 ↓ 孝徳天皇陵(山田上ノ山古墳)
 女帝・皇極天皇の弟の軽皇子が第36代孝徳天皇として即位した。都を難波に移し、難波宮で亡くなられた。丘陵の南斜面に位置し、直径32m程度の円墳ないし八角墳ではないかといわれている。

 ↓ 道の駅・竹内街道
難波から飛鳥へ抜ける最古の官道「竹内街道」に面して建つ。ここで、たった1個残っていたおにぎり弁当と果物、野菜などを買い、

 ↓ 竹内街道歴史資料館のロビーを借りて昼食をとった。

 ↓ 聖徳太子の眠る地、太子信仰にまつわる展示


13:40 竹内街道(新道)を経由して藤の木古墳・法隆寺・中宮寺へ立ち寄り、17:30 今夜の宿・奈良ホテルに到着。
 ↓ 藤の木古墳


法隆寺の境内も歩き回ったので歩数計は、16,015  
# by from76 | 2014-07-22 10:20 | アウトドア | Trackback | Comments(0)

神戸から大阪へ (204/7/16)

3日目、10:36ホテルを発ち、湾岸線を通って大阪・天保山へ。
 ↓ いくつもの橋を渡る

 ↓ 11:16 天保山に到着、12:00~12:45 大阪港めぐり~デイクルーズに乗る。船内を中国語が飛び交う。乗客のリュックに台湾国旗のアップリケが見えた。

 ↓ 橋の向こう、かすかに、今夜の宿のある「あべのハルカス」が見える。

 ↓ 天保山ハーバービレッジを散策した後、あべのハルカスに向かった。1本のビルだけが突出して見える。

 ↓ あべのハルカスの19階に「大阪マリオネット都ホテル」のフロントはあった。デスクの後ろも総ガラス張り。

数日前、近くのホテルをネットで探していたら、トップに出てきたのがこのホテル、予算内だったので、即予約したのだった。「部屋が空いていましたのでグレードアップ、52階の部屋をご用意しました」といって案内された部屋は南向きの全面ガラス張り。

 ↓ 空気が澄んでいたら、堺市役所や仁徳天皇陵が見えるはずだ。

 ↓ 夕刻、道頓堀に出かけた。18:40 なんばグランド花月の前、「文枝フェスタ2014」の呼び込みだ。今日だけのイベント「淡路島名誉大使就任 淡路島落語第1弾発表」とあったが、夕食前だ、街歩きをすることに・・・

 ↓ 異様ともいえる熱気に圧倒される。聞こえる言葉は圧倒的に中国語

 ↓ 派手で巨大なタコのオブジェの店「くくる本店」に入る

 ↓ 「大タコ入りたこ焼き」+おでん これだけで満腹!

 ↓ 部屋に戻って夜景を見る

今日の歩数計: 11,160

# by from76 | 2014-07-20 11:52 | アウトドア | Trackback | Comments(0)
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