18日の早大オープンカレッジは「神仏習合美術」の後編「Ⅲ 神道曼荼羅」であった。仏像と異なって、神像は神の仮りの姿として作られたので、金をかけない、壊れても修理しない、不要になったら捨てる、などの扱いを受け、中世以降は、次第に作られなくなった。したがって現存数は極めて少ない。
代わりに登場したのが曼荼羅である。密教の影響を受け、掛け軸スタイルで制作され、礼拝の対象となった。 ●神道曼荼羅(平安末期~) Ⅰ 描かれる対象による分類 ①本地仏曼荼羅(熊野本地仏曼荼羅)②垂迹曼荼羅(熊野垂迹曼荼羅)③本迹曼荼羅(山王本迹曼荼羅) Ⅱ 構図による分類 ①曼荼羅型(春日本地仏曼荼羅) ②ひな壇型(熊野本迹曼荼羅)③社頭図型(春日宮曼荼羅)④獨尊曼荼羅(春日鹿曼荼羅) 右の写真の左が春日曼荼羅。 上から、ご神体の御蓋山・本地仏・春日の社・参詣路など、社殿を中心に周辺の景観まで書き込まれている。 当時、京都の藤原氏は、この絵を自邸に掛けて儀礼を行うことで、参詣の代わりとしたという。春日鹿曼荼羅は、春日神を迎えるためのものであった。 やがて、宮曼荼羅に参詣する人々が描き込まれるようになり、今の、旅行パンフレットのようなものになった。山伏や御師たちが、庶民を寺社参詣に向かわせるものとして作られた。 宮曼荼羅から参詣曼荼羅への展開は、信仰の主役が神から人へ移ったことを意味する。 ●参詣曼荼羅(室町期~) (那智参詣曼荼羅・伊勢参詣曼荼羅・善光寺曼荼羅) リニューアル後の美術館、緑あふれる庭園もまた素晴らしかった。 下写真は、美術館のエントランス。
by from76
| 2011-10-22 10:28
| カルチャー
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