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「韓国の一つの終わり」 (2014/9/11)

タイトルは、産経新聞(2014.7.20)コラム(黒田勝弘)からの引用である。本文の前半を転載する。
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 「先日、韓国でインスタントラーメンの草分けだった「三養(サムヤン)食品」の創業者、全仲潤(チョン・ジュンユン)名誉会長が亡くなった。94歳だった。インスタントラーメンは1958年に日本で開発され、その後、世界に広がった。現在、世界で最大の生産国は中国だが1人当たりの消費量では韓国が世界一である。

 その韓国で1960年代に初めて製造販売を手がけたのが、全仲潤氏だった。世界インスタントラーメン史の初期に、彼がどのようにしてそれを始めたのか、その歴史は何回、思い出しても感動的である。

 彼は、日本で1959年に食べたインスタントラーメンのことが忘れられず、まだ貧しく食糧難だった韓国の国民に「何とかあれを食べさせられないものか」と一念発起し、日本からの導入を決意する。国交正常化2年前の1963年、「国民の窮乏を救いたい」という彼の志にいたく共感し協力を約束してくれたのが「明星食品」の当時の奥井清澄社長だった。

 技術提供は無償(!)。全仲潤氏は明星食品の工場に10日間、通い詰めて製造技術を学び、最大の難問だった原料配合表(レシピ)も提供された。帰国後、明星食品から技術者が1カ月間、派遣された。製造機械の半額提供以外はみんな無料だった。こうして翌1964年、初めての製品が出荷され、これが“ラーメン王国・韓国”のスタートとなった。

 全仲潤氏の死去に際しては韓国のマスコミも「庶民の飢えを解決した“ラーミョンのゴッドファーザー”」(東亜日報)などと大きく報道していたが、肝心の明星食品との“美談”に触れたものはなかった。

 生前、彼に長時間インタビューしたことのある林廣茂・前同志社大教授によると、彼は青年時代だった日本の戦時中、ソウル(当時は京城)で逓信省の仕事をしていて、同僚の日本人たちが「この戦争は日本の負けだ。そのうち朝鮮は解放されるからもう少し辛抱しろ」といっていたと、心優しい日本人の思い出を語ってくれたという。

 また日韓併合など過去の歴史については「不幸の始まりだったが、ロシアや中国の支配下に入らなかったことは不幸中の幸いだった」というのが持論だったという。」
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「韓国の一つの終わり」 (2014/9/11)_b0048558_10503428.gif右の本は、「旅客船セウオル号」の横転・沈没事件から始まる韓国メディアの記事をもとに、韓国の「真の姿」をつまびらかに描く。

滅公奉私、自己反省なく他者にのみ謝罪を求める姿だ。こちらが低姿勢にでれば付け上がるだけ・・・  「あとがき」に、
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「朴正熙には『我が5千年の歴史は、一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった』(朴正熙全集2-国家」・民族・私-」朴正熙著、鹿島研究所出版会刊)とする認識があった。

だからこそ「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を全体的に改新しなければならない。/このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史はむしろ燃やしてしかるべきである。(同前)という国家革新の意欲が続いた。

だが、娘の朴槿恵大統領が語るのは『わが栄光の5千年の歴史』だ。この歴史からは国民精神を根底から変えるような改革意欲は出てこないだろう。

退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史は、朴正熙軍事クーデターの一時期だけ断絶したが、その後は旧に復した。
                        
朴正熙を担いだ青年将校たちは、やがて「新悪」になっていく。旧悪の追放者が新悪になる――これも、半島の変わらざる歴史だ。」
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日本は、厄介な隣人をもったものだ。

 
by from76 | 2014-09-12 10:51 | 身辺の出来事
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