「ぶらり東京散歩」から「東京水産大学~天王洲~旧東海道品川宿」(散歩距離9.5キロ、ぶらり散歩4時間25分)の部分のコピーをポケットに、品川駅をスタートした。
ところが、天王洲のボードウオーク(上の×印)で、ポケットからコピーを取り出したとたん、風にあおられコピーが運河水面に吹き飛ばされてしまった。運河沿いの風は、ひときわ勢いを増していたのだ。 マップなしではお手上げ、聖蹟公園・品川神社・海蔵寺の3か所をスマホ頼りに立ち寄り、通りかかったバス停で「渋谷行」に乗った。 ↓ 最初に立ち寄った「東京海洋大学」(東京水産大学改め)に陸上保存されている、明治末期に建造された練習船・雲鷹丸 東京水産大学の前身・農商務省水産講習所の第2代練習船「雲鷹丸(UNYO MARU)。木造帆船、総トン数444.25。1909年5月から1929年8月までほぼ20年間就航した。その後、当時の母校所在地であった越中島岸壁において係留練習船として学生の実習に供されていた。1998年12月、登録有形文化財に登録された。 ↓ 高浜運河遊歩道のオブジェクト ↓ 1月10日、夕暮れの羽田空港D滑走路・川崎工場夜景クルーズに乗船した船に出くわした。頼りなげな手すりにつかまりながら船首部分を移動した。 ↓ 山手通りの「聖蹟公園(東海道品川宿本陣跡)」 品川宿は、江戸4宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡、東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いに賑わったところである。明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名された。 ↓ 園内に建つ「御聖徳」た書かれた石碑、中央の碑文は削り取られて判読不能 ↓ 海蔵寺 「首塚」のほか「慶応元年(1865)に建立された「津波溺死者供養塔」や、大正4年(1915)の「京浜鉄道轢死者供養塔」などがあり、いずれも引き取り手のない死者や不慮の死をとげた者の霊を供養してきたため、この寺は品川の「投込寺」と言われた。 ↓ 首塚 遊女や鈴ヶ森刑場で処刑された刑死者、天保の大飢饉(1833~39)で亡くなったた215人を祀る「215人塚」などが合葬されている。
by from76
| 2015-02-17 13:28
| アウトドア
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