1971年9月9日(2018/9/9)


ボクが90年近く生きているというのに、一人息子は、47年前の今日、13年の生涯を閉じた。

小学1年から3年まで、何度も入退院を繰り返したが、4年になって元気になり、水泳・鉄棒・登山・スキーなどなんでも人並みにこなせるようになっていたのが、中学1年の7月8日、突然発病して国立小児病院に入院、51日後の深夜、息を引き取った。

家族に会えるのは、週2回、各2時間のみ。電話もダメ、連絡は手紙だけという、刑務所並みの孤独と40度に近い高熱に耐えながら、死の前々日まで日記やマンガを書き続けていた。

親が、彼の入院生活の実態について知ったのは、彼の残した記録によってだった。すべてが後の祭りだった。
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 『落語』(死後、友だちが録音テープを届けてくれた)

マンガも、落語も、いつ稽古をしていたのか、まったく知らなかった。悲しいかな、今親として、してあげられることは、彼の足跡を思い出して上げることだけ・・・

 

このブログも入力のフォーマットが変わり、他のSNSとのリンクも不能となり、大変、使いづらいものになった!




# by from76 | 2018-09-09 11:53 | 身辺の出来事 | Comments(2)

終戦の日に想う(2018/8/15)

毎年、この時期になると戦争の悲劇に関するドキュメントが放送される。「インパール 慰霊と和解の旅路」「船乗りたちの太平洋戦争・・・」「・・・戦争孤児たちの戦後史」「運命の分岐点『最後の帝国軍人・小野田寛郎少尉の生還』」などなど涙しながら、終戦時を己を回顧した。

ボクは、1928年、朝鮮で生まれ、終戦時は38度線のすぐ南、街外れの農業倉庫の社宅に、両親と弟2人・妹の6人で住んでいた。
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9日には、ソ連が北朝鮮に侵攻しを開始、15日、日本は朝鮮半島の統治権を失い、半島全体が無政府状態となった。

間もなく38度線を越えて平壌から父の従弟夫婦が避難してきて、北の惨状を語った。

父は素早く、母と弟妹を京城に避難させ、その後、ボクと父は、小さな漁船で京城に引き揚げたが、途中、保安隊と称する青年に船を止め、同乗していた日本人から、財産を売った金を取り上げた。日本人が持ち帰れないものはすべて没収の対象となった。

京城の近くで上陸して進駐軍に出会った。「日本の男はすべて去勢、女性は強姦」と船中で聞かされていた。荷物2個までは後日、日本に送ると聞いて梱包したが、そのママになった。だまされたのだ。

10月中旬、ひとり一個のリュックを担いで、京城から列車で釜山につき、港の倉庫で2,3日滞在、某日早朝、MPに監視されながら大型客船に乗り、午後おそく、山口県の仙崎港に上陸した。

生まれてこの方、砲声や空襲警報のサイレンを聞くこともなく、戦後の苦労はあったものの、今日まで生き長らえて・・・戦火に散った人たちとの運命の大きな差に、表現することばなく、合掌するのみ・・・
 ▼ 朝鮮半島で終戦時を迎えた人たちの記録(区内の図書館から借りてきた)左:元東京新聞社記者による取材記。記事のほとんどが北朝鮮における悲劇。中:1938年生まれ、仁川で終戦を迎え11月2日博多着。右:1913年生まれ、終戦時、忠清北道警察部長だった。11月7日、大田駅を発ち釜山から博多港に着いたが正確な日時は覚えていない、とある。

翌1946年春、38度線以下の日本人はすべて帰国した。
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# by from76 | 2018-08-16 14:02 | Comments(0)

『山の日』に想う(2018/8/11)

今日が『山の日」だなんて、今朝のテレビで知った。山登りに縁のない生活になっているが、ボクのからだは『山登り』が作ってくれたと思っている。

 ▼ グラフは、ボクのアウトドアの記録
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『山登り』は70代に最も多い。これは74歳『狭心症』が完治した際に、『マラソンでも登山でもやりなさい』と医師に勧められたことによる。これじゃいかんと思いながら、86歳でストップしたまま・・・

最近はもっぱら、近場のウオーキングとジムでの筋肉トレーニング。

# by from76 | 2018-08-11 14:51 | アウトドア | Comments(0)

360°カメラの先にあるもの(2018/8/6)

東京大学工学部6号館の一室に、360°の風景を記録するカメラ持参の9人が集まった。今日のテーマは「楽しくVRをつくろう!」。
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そこで紹介されたのは5月3日に発売されたばかりのVRビューアー”Oculus Go”、これを使えば、参加者が撮影した360°の映像が、まるで、その場所にいるような、臨場感あふれる感覚で見ることができる。

 ▼ 4人が同じ映像を見ながら、あ~だ、こ~だと、ことばを交わす。カラダの向きを変えることで、四方八方、空中から地上までの風景が、音とともに立体的に見える。
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 ▼ 今日のテーマの目指すものは『仮想旅行』または『代理旅行』。「旅行がしたいが出来なくなった」という人たちに、VRビューアーを使って旅行をしてもらおう。リハビリの一環として・・・。
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 ▼ 翌日、当日の先生からのレポートが届いた。
左:昔なつかしい日光 右:三脚を立て、360°カメラで同じ場所から撮影。依頼主は、この映像を見ることで、日光再訪問の雰囲気を味わうことが出来るはず。
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VRの世界の先を知って、楽しみが、また一つ増えた。
          Oculus Go
# by from76 | 2018-08-07 12:05 | ITライフ | Comments(0)

心臓5分、足に5時間(2018/8/4)

8:40~9:30 心臓の定期検診、心電図・聴診ともに異常なし。血糖値HbA1cが 0.2下がって7.2%に。昨秋以来、最も低い数字だ。体脂肪減の効果だろう。あと一息。

11:00~17:30 7月30日に知ったばかりの『アシタスタイル メソッド』の「足づくり入門・初級講座」に参加。長年、悩まされてきた『足のトラブル』の解決策を求めて・・・

受講者7名、ほぼ円形に並んで素足を前に出す。大小様々、トラブル様々、それぞれの歩んできた人生が足に反映されている。

「足のトラブルは足と靴の不整合」にあり、「靴に足を合わせている」からだ。そう、ボクの足は細幅だが、市販の靴は幅広ばかり、インソールなどで調整していたが2、3キロを歩くと、足首や脛に痛みが走る。

細幅の見本品を履いてみて、これなら大丈夫か、いや、崩れた足の矯正もしてくれるというので、オーダーした。出来上がりは10月半ばだ。今、ボクの下駄箱には2,3度しか履いてない靴も含めて20足近くが転がっている。
 ▼『アシタスタイル メソッド』のHPからコピー
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# by from76 | 2018-08-05 10:23 | からだ | Comments(0)

やれば出来た『体脂肪減』 (2018/7/28)

ジム通いを始めて2ヶ月、その間の変化をチェックした。なんと体脂肪率▲3.3%、体脂肪量▲2.2Kgだった。予期以上の成果に思わずニヤリ・・・
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面倒でも、毎朝の体組成計のデータ(体重・体脂肪率・骨格筋率・基礎代謝量など)をEXCELに入力し、日々、その変化に対応してきたことが功を奏した。

体脂肪率20.0%を目指して、もう一踏ん張りだ。加えて、課題は『骨格筋量』、600g増えたが、『身体強度』判定では、上半身強度・下半身強度・筋肉強度の何れも『弱し』だ。こちらの方が難題・・ち

ちなみに2005年、75歳のときの
 体脂肪量:10.1Kg、体脂肪率:18.9% 骨格筋量:22.6Kg
当時、『新現役ネット』同好会『山歩きの会』のメンバーとして、毎月、山に登っていた。
# by from76 | 2018-07-29 21:08 | からだ | Comments(0)

富士山すその一周ウオーク第4回(2018/7/22)

4月分を抜かしていたので、新宿発のグループに参加して穴を埋めた。一行23名。7:30新宿西口発、10時、3月の終点『富士浅間神社』から歩行を開始した。
 ▼ 富士浅間神社
前回は、脇から出入して参拝したので、今回は正面から一礼して先へ進む。 
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 ▼ コースのあちこちで『ヤマユリ』が・・・
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 ▼ 17回中、もっとも距離が長い約12km、4時間30分のコース。スタート地点の標高800m、ゴール634m、ほぼ平坦な舗装道路を歩く。
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 ▼ 伊奈神社
社前の石碑より⇒
 「宝永4年(1707)、620年ぶりに富士山の大噴火によって御厨地方は甚大な被害をうけた。小田原藩は米1万俵を放出し救助に努めたが、復旧は困難として御厨地方を幕府に返却した。一方、家も田畑も失った被災民は他に離散する者が続出し、飢え死にする者も数多くでた。幕府も、その被害があまりにも大きいため一時は、「亡所」(廃村)にすることを考えたが、ようやく再三の嘆願をいれ、時の関東郡代伊奈半左衛門忠順に命じて災害対策にあたらせた。伊奈氏は代々関東郡代として治水拓殖に勝れ、半左衛門忠順はそお5代目である。
 着任した半左衛門は寝食を忘れて焼砂排除の指導にあたったが工事は困難を極め作業は難行した。さらに、食料の欠乏になやむ被災民の困窮を見かねた半左衛門は、厳しい幕府の掟を破って駿府の幕府の御蔵米を開き餓死寸前の難民に施した。このため半左衛門はお役御免の身となった。しかし職を賭して耕地の回復と難民の救済に尽くした半左衛門への敬慕の真情は、その後、”御厨の父”として神に祀り、毎年祭礼を行って今日に至っている。正徳2年没して既に270年、ここに郷党相はかり大恩人の銅像を建立して、御霊を慰め感謝の真を捧げるとともに、その遺徳を永く後生に伝えるものである。」
 注:レジメによれば、彼は幕府により切腹を命じられた。
  辞世『玉露と消え行くわが身は惜しまねど心に残る御厨の里」
 社殿は、昭和32年、各地にあった伊奈神社を合祀してこの地(須走下原)に建立、銅像の建立は昭和57年。新田次郞が、宝永山の爆発と伊奈半左衛門の活躍を「怒る富士山」として著した。
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 ▼ 野中夫妻顕彰碑
 野中至は明治28年、正確な天気予報のためには高層観測が必要、それには富士山頂での恒久的な観測が不可欠との信念から、私財で富士山頂での冬季観測に挑んだ。酷寒での夫の身を案じた千代子は後を追って10月の山頂に登り、二人の観測は年末まで続いたが高山病と栄養失調、寒さと過酷な観測作業は二人の身体を蝕み、至の希望もむなしく年末に救出された。
 気象庁職員で富士山頂勤務の経験を持つ新田次郎は、野中夫妻の活躍を「芙蓉の人」として著した。
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 ▼ 川柳浅間神社
 最近建て替えられた社殿で重厚さはないが、社殿の前の杉の古木が見事である。根元で2本に分かれて樹齢500年と推定され、県指定の天然記念物。御殿場に別荘があった明治の海軍大将樺山資紀(すけのり・白州正子の祖父)が「扶桑樹」と名付けた。「扶桑」とは昔、中国で東方の海中にある神木のことを言い、日の昇る所の木という。社殿からこの木の間の箱根に昇る朝目を拝めば、何か叶えられる?…。
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 ▼ 印野の溶岩洞窟
富士山麓には溶岩が冷えて固まる時に出来た洞窟がたくさんある。旧印野村の丸尾エリアにも5世紀頃のものと思われる丸尾熔岩流の先端付近に出来た洞窟が、昭和の初めに発見され、国の天然記念物に指定された。しかしその後の砕石などで破損している。
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15:15 ゴール「樹空の森・御胎内温泉」着、入浴・休憩1時間。16:15温泉発、中央高速で新宿西口着21:15。東名で事故渋滞の情報あり、中央高速に回ったが、こちらも事故渋滞。夏休み初日、未熟運転が目立つそうだ。
 ▼ 富士の姿は、静岡側からはまったく見えず、帰途、山梨側の中央高速に入って見えたのみ。
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iPhone・Stepsのデータは、25,485歩、1,016カロリー、16.37km、3時間31分とあった。
# by from76 | 2018-07-23 09:34 | アウトドア | Comments(0)

岡山県、古墳にも豪雨災害(2018/7/13)

今回の西日本豪雨災害で、この秋予定されている明治大学博物館・前方後円墳研究会の《吉備の古墳探訪旅行》の実施可否について担当者による打ち合わせが定例会に先立って行われた。

 ▼ 『造山古墳』の崩壊現場(山陽新聞より)『くびれ部』が長さ約20メートル、幅約5メートルにわたって崩落した。
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 ▼ 2014年1月23日、ツレと2人で訪ねた造山古墳の斜面
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 ▼ くびれ部は、図上部の凹部。この辺りが崩壊か?
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その他、国史跡・両宮山古墳(赤磐市穂崎、和田)でも、内濠(ぼり)を囲む土手の斜面が幅約11メートル、長さ約1・5メートルにわたって崩れた。倉敷市真備町地区では、遺跡出土品や民具を収蔵する市真備歴史民俗資料館(同町箭田)が被災した、などと報じられた。

結論:8月10日まで、情報収集を重ね、それによる実施の有無、代替案を会長と幹事代表に一任することになった。

酷暑にもかかわらず、定例会は欠席なし。2名によるレポート
 Aさん:上毛野(群馬県)に巨大前方後円墳登場-浅間山古墳の出現から白石稲荷山古墳まで
 Kさん:河内政権論を考える
16時30分閉会。
次回、9月14日。

閉会後武蔵境まで急行、丸3年を経過したiPad交流会の一区切りと、牧リーダー82歳の誕生祝いパーティに参加した。12名、若者顔負けの騒々しさに店長からクレームあり。これも、iPad交流・若返りの効果だ。
# by from76 | 2018-07-14 12:48 | Comments(0)

著者から聞く『前方後円墳と東国社会』(2018/7/6)

b0048558_20571051.jpg13:30~16:40 明治大学博物館会議室で、前方後円墳研究会の《寺子式研究会》が開かれた。

今年は、現在輪読中のテキストの著者・明治大学文学部の若狭徹先生にお出ましいただいた。

A3版 6ページの資料とスライドを用いての講義は、テキストの前半部分を総括するもので、もう一度、最初から詳しく読み返す意欲にかられた。
 ▼ 前半は講義を聴くスタイルで・・・
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 ▼ 古墳出現前夜。東海西部からの移動集団が低湿地を開発。
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 ▼ 4世紀後半から5世紀前半にかけて、開発のリーダーの古墳が登場
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 ▼ 後半は、輪読中の疑問をぶつけるかたちで質疑応答
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 ▼ 記念写真(撮影:細川氏)
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 ▼ 終わって反省会、会長の挨拶で開会、あとはワイワイがやがやの2時間。写真は、3テーブルのうち2テーブルのみ・・・
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 ▼ 満面笑顔の若狭先生(以下2枚 撮影:細川氏)
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# by from76 | 2018-07-06 21:01 | 古代史を訪ねて | Comments(0)

プレゼン資料制作実習②(2018/7/3)

前回は、iPad・iPhoneの初心者を対象にしたプレゼンをAppleのアプリ《Keynote》を使って制作する場合のテクニックがテーマだったが、2回目となる今日の講座は、iPad・iPhoneの標準アプリをどのように教えるか、講座とプレゼン資料の組み立て方についてだった。

 ▼ 今回の教材、1ページの上の部分
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 ▼ 講師の牧 壮IoSジャパン代表
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 ▼ 表紙以下はタイトルのみを試作して講師にアドバイスを求めた。
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結局、2週後の試作品発表では、Appleの標準アプリ《マップ》を担当することになった。9月のin 武蔵境・iPad交流会での本番のために・・・

帰宅して、「keynoteの使い方」をネットで検索してみたところ、世界一分かりやすいとのコメントつきの485ページにもなるPDFファイルがダウンロード出来た。
▼ 1ページ目
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何でも検索しまくるべきだと、改めて実感した次第。


# by from76 | 2018-07-03 21:42 | ITライフ | Comments(0)