映画「清州城」を見に (2013/11/15)

映画「清須城」PRのステージで、三谷幸喜は「私の公約は、『清須城』を、映画館で見ていただくことです。大きなスクリーンでです。衣裳やセットに、いかに、お金をかけたがよくわかります。ぜひぜひ、大きなスクリーンで・・・」というので、いつもの錦糸町ではなく、有楽町の映画館まで出かけた。
 ↓ TOHOシネマズ有楽町
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さすが錦糸町の2、3倍はあろうかと思われるスケールだ。大きなワイドスクリーンに、大きく響くサウンド。観客も、前後左右びっしりだ。

ボクは、種田陽平がこだわったというセットに目を凝らしたが、視線はどうしても出演者の衣裳や表情に向く。だが、前日、三谷幸喜の解説を聞いているので、頭のなかは豪華絢爛、種田陽平展を先に見てよかったと・・・。

「清須会議」は、信長の嫡孫・三法師(3歳)をかついだ秀吉の勝利に終わったが、敗れた柴田勝家派のその後が気になり、帰宅後、調べてみた。

 ●柴田勝家(織田家宿老): 滝川一益・織田信孝と手を結んで秀吉に対抗するも、天正11(1583)年、賎ヶ岳の戦いで秀吉に破れ、越前北ノ庄にてお市とともに自害。享年62。
 ●織田信孝(信長の三男): 三法師の後見人だったが、賎ヶ岳の戦いで柴田勝家が破れた後、自害。享年26。
 ●お市(信長の妹): 天正11(1583)年、秀吉に攻められ、柴田勝家とともに自害、享年37。
   
    ・・・以上、清須会議が終わって10ヶ月後のこと・・・・

 ●滝川一益(織田家宿老): 勝家に与して秀吉に攻撃されて降伏。小牧・長久手の戦いでも破れて出家。天正14(1986)年9月9日越前にて死去。享年62?。 


ついでに、◆羽柴秀吉派
 ●羽柴秀吉(織田家宿老): 清須会議のあと柴田勝家と対立し、翌天正11年、勝家を破ったあと大阪城を築き、幾多の戦いを克服して天下統一を達成、関白・太政大臣にまで上りつめた。慶長3(1598)年8月、伏見城にて死去、享年62。

 ●織田信雄(信長の次男): 清須会議の後、尾張を領して清洲城主なる。翌年、信孝を岐阜に攻めて自殺させ、以後、家康についたり秀吉についたりして、寛永7(1630)年、京都にて死去。享年73。
 ●織田信包(信長の弟): 清須会議の後、伊勢津城15万石を領して「津侍従」と称された。天正11年(1583年)には甥・織田信孝らと対立し、柴田勝家や滝川一益を攻略。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いでは西軍に属したものの、戦後、徳川家康に所領を安堵された。その後、大坂城にあって姪孫である豊臣秀頼を補佐したが、慶長19(1614)年7月、大坂冬の陣直前に大坂城内で吐血して急死した。享年72。

 ●三法師(信忠の息子)」: 織田秀信となり、岐阜城主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に加わって降伏。徳川勢によって高野山に送られることになったが、追放され以後の消息不明。
 ●丹羽長秀(織田家宿老): 賎ヶ岳の戦いで秀吉を応援し、その後、若狭を加え越前・加賀2郡を与えられて123万国の有数の大大名となるも、天正13(1585)年4月、胃がんのため死亡。享年51。
by from76 | 2013-11-17 15:17 | カルチャー | Comments(0)
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