大塚初重名誉教授の講座⑪ (2013/11/25)

明治大学・大塚初重名誉教授の講座「古墳発掘の成果とその被葬者像」、⑨⑩回を休んでしまい、今日はその⑪回。テーマは「大和・赤坂天王山古墳と欽明陵の年代」。

崇峻5年(592)11月3日、崇峻天皇は蘇我馬子が差し向けた東漢直駒によって殺され、即日「倉梯岡陵」(くらはしのおかのみささぎ)に葬られた(日本書紀巻21 崇峻天皇(5年壬子)。古事記にも同様の記録あり)。

宮内庁は下図の上段「倉梯岡陵」を崇峻天皇陵として治定しているが、考古学会では、赤坂天王山古墳(下図の下段)こそが、崇峻天皇陵にふさわしいとしている。その理由を発掘成果をもとに解説。
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下図の上段は、《第29代欽明天皇陵と第30代敏達天皇陵》。この時代までの天皇陵は代々「前方後円墳」であった。

それが下段の、《第31代用明天皇陵、第33代推古天皇陵》から「方墳」に変わった。
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第32代崇峻天皇陵は、その中間にあたる。殺されたその日に葬られたとはいえ、上図の「倉梯岡陵」ではおかしい。陵墓のかたち・大きさ・構造などからして赤坂天王山古墳のほうが天皇陵にふさわしいのではないかが、今日の主題。

分かりやすい資料をいただいたので上に掲げた。
by from76 | 2013-11-26 11:51 | 古代史を訪ねて | Comments(0)
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