” 漣(さざなみ) ”の情報は手元にもあった (2006/5/8)

4月20日に書いた、「因縁めいた話だが・・・」にちなんだ話である。

30代に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいっぺんに司馬ファンになった。昭和48年、全32巻の「司馬遼太郎全集」が出版されると、躊躇いもなく買ってしまった。定年になったら読もうと思ったのだったが、情けないかな、まだ手つかずのままだ。

b0048558_21465151.jpg 今日、ふと思いついて写真の本の「第6部 鬱陵島」のページをめくってみた。やはりあった。
 「日本海という広大な洋上において、ロシア側の主将のロジェストウェンスキーとその幕僚がすべて捕虜になったのである。海戦史上、類のないことであった。
 この運命劇の主役として登場するのは、305トンの小さな駆逐艦だった。漣(さざなみ)という艦で、相羽恒三という少佐が艦長だった」

以下8ページにわたって、”漣”がロジェストウェンスキー提督を捕虜にし、佐世保海軍病院に入院させるまでの経過が書かれている。「志賀敏武」の名こそなかったものの、彼が2階級特進の栄を受けた理由が分かった。

この話にはおまけがあった。戦後ロシアに帰国したネボガドフ少将(ネボガドフ艦隊の司令長官)は、軍法会議にかけられ死刑を宣告された(のちに10年の要塞禁固)。一方のロジェストウェンスキー中将に対して皇帝ニコライ二世は、力尽きて捕虜になったということで寛大に扱ったが、日本海軍に降伏した各艦長には禁固刑を科した。戦わずして降伏した、というのが理由だった。
by from76 | 2006-05-08 21:47 | 特攻60年目の真実 | Comments(0)
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