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奈良・畝傍山 (2006/11/8)

正倉院展を見終わってまっすぐ近鉄橿原線に乗って畝傍御陵前駅に向かう。ボクの飛鳥めぐりは、神武天皇陵参拝から始めた。午後4時過ぎ、陽もややかげって端正かつ荘厳な雰囲気である。
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奈良・畝傍山 (2006/11/8)_b0048558_14221589.jpg神武陵は、天武元年(672)壬申の乱のとき、在地豪族が必勝を祈願したとの記録が古事記にあるから1300年以上も前に築造されたことになる。そして、明治維新、神武創業を体現するものとして現在のかたちに整備された。

最新刊の写真の本、明治維新の理念を視覚化する施設として神武天皇陵が立派に整備され、橿原神宮が、明治23年4月2日官幣大社として創建されていく過程を描く。

ボクの飛鳥探訪に先立ち、この本を読める機会を得たことに感謝しながら、橿原神宮の大前に歩を進めた。途次、写真の看板をみつけて立ち寄る。
奈良・畝傍山 (2006/11/8)_b0048558_20581146.jpg戦没した第13期甲種飛行予科練習生と空母「瑞鶴」の乗員の慰霊碑が橿原神宮の苑地に建立されており、それぞれ戦没者の名が刻まれていた。

甲飛13期は、敏美より10カ月遅れの入隊、このころは特攻機に使用する飛行機も少なく、従って生存率は96.5%。一方の空母「瑞鶴」は、昭和19年10月25日、航空機による援護なしの丸裸で比島エンガノ岬沖に出撃して沈没、乗員の約半数(士官49名、水兵794名)が戦死している。



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写真下は橿原神宮南の深田湖から夕景を望む、地元のご老人たち。(正面の山は、左:金剛山 右:葛城山) 
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by from76 | 2006-11-09 14:11 | カルチャー
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